痛くない人生

長いこと更新していなかった。

その間にいろんなことがあって、私の価値観も生活も少しずつ変わってきているのに。
理由があるとすれば、それを伝える気持ちにならなかったということが一つと、何もかも変わっていくのに私はその流れの中で立っていられるほどの体力を得たということだろうか。
色んなことが変わって、重なって、変化していかないと自分の人生もダメになっていくということを理解して、今まで苦痛だったはずの変化も耐え難いほどの痛みというものではなくなった。
相変わらず先のことはわからず、人生全体を見回そうとした時にホワイトアウトしているのは変わらないんだが、今まであった痛みという感覚だけがどこかへ行ってしまい、私はザクザクと雪原を進む。先に何があっても仕方ないと思う。
最近の私は、人に会っている。
友達とも会っているし、知らない人とも会っている。
知らない人と会って、話して、つまらないこともあるし、面白いこともある。
そのまま相手から好かれることもあるし、音沙汰ないこともある。
私以外の他人は、思っているよりも私に興味を抱かないし、私も誰かに対して強く興味を持つことは少ない。
結局友達とか恋人って即物的なものじゃなくて時間の経過の中にある許容の賜物なのかもとか考える。
そんなどうでもいいことを考える余裕は多分人と会うぞと肝に命じてからようやく考えられるようになったことで、私が人と会うようになって一番良かったな〜と思うこと別にある。それは、私は私が思っているよりも平凡で、モンスターじゃないってことだ。
私はゲイで、マイノリティだからこそ、主体的にコミュニティに分け入る努力をしないと孤独なままであるという事に気付きながら、その勇気がいつまでも持てずにいた。そういう時間が煮詰まって、私は自分のことをモンスターか何かだと考えてしまうほどだったのだ。
だけど、いざ人と会うと私は全然モンスターじゃなくて、普通の人間だった。
誰かから愛されることもあるし、嫌われることもあって、その全ては私が人よりいびつな心を持っていたり、容姿が醜いからだという理由だからではなかった。単純に過ごした時間の短さや、会った日のタイミングの問題か何かで、互いに毛羽立った部分に触れてしまったということが原因だった。(と思う)
何が言いたいのかって、私は私なりに愛される人間だということを認識できて、ようやく変化について寛容な気持ちになることができた。
つまり、今までは世界の一部分が変わってしまうことさえ、今自分を受け入れている世界が手のひら返しをして自分の存在をふるいにかけてしまうんじゃうないかとさえ思っていたのだ。けれど、私は私という人間が、友人か、恋人候補1か何かわからないにしろ、他人にとって敵意を向けるためだけに存在する人間じゃないと理解できたのだ。そのおかげで何かが変わることが常に自分を追い詰めるとは考えなくなった。もちろん愛されているという免罪符は全てにおいて有効ではないし、どこかで自分の別の属性について誰かから不当に傷つけられることはあるかもしれない。でも、とりあえず、私は誰かが幸福に向かって変化していくことを受け入れることができるようになりそうだ。
そんな最近。

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