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『オリジナル』にとらわれていた心を動かしてくれたことば

今回は、
人と違うことがしたいというマインドセットに囚われて
ずっと動けずにいた私についてのお話です。


ことばとビジュアルを合わせた表現に興味がある
自分でやってみたいことのカタチが
最近、ちょっと見えてきました。

写真 × 書道 × 短歌 をテーマにした作品をつくって、
本にまとめてみたい、という構想が浮かんでいます。

▼(どんなことをやりたいかは以前の記事に)


もともと、自分がこれまで取り組んできたことのなかに
以下の3つがありました。

①写真を撮るのが好き
一眼レフを持ってますが、普通にスマホでも撮ります。
外出先での風景や、料理の写真を撮るのが好きです。
ストックフォトサイトに投稿していたこともあります。

②書道を10年習っていた
小学1年生から高校生まで習字教室に通っていました。
ひな人形のメーカーに勤めていた時に、
ブランド名の題字を筆文字で書いた経験があります。

③Illustrator/Photoshopが使える
写真の色味やテイストの加工ができたり。
アナログで書いた文字をスキャンして補整したりも。

メーカー勤務時代、WEB担当&広報的な仕事として
バナー・POP・かわら版・WEBページのデザインといった、写真と文字で組むようなものをIllustratorで制作していました。
*事務職の仕事をやりたくなかったので(笑!)、
IllustratorとPhotoshopを独学で覚えて自費でAdobeソフトを契約し、『そっち系』の制作実績と既成事実を増やしました。


ただ、それぞれを極めようとか、
仕事にしてみたいという方向にはならなかったです。

身近な人が「やってみたら?」と
言ってくれることはありましたが、

「でも、」が芋づる式に浮かんでくる。

たとえば書道なら、
・書道の腕はずっと続けている人に比べたらまだまだ
・面白いことやってるバリバリ現役書道家が既にいる
・筆文字のデータ販売も珍しいことではない
…といったように。


先日、講座仲間との飲み会の席で、私は
「なにをやるにも『すごい人はもう既にいるし…』と思ってしまう」
と口にしていました。

もう少し正確に言うと、
もうすでにいろいろな人が実行しているものを
敢えてやることにも、ハードルを感じていました。
「もうそれをすでにやってる人がいる」とわかるだけで
ちょっとだけテンションが下がってしまうという…。
(傲慢だと感じられるかもしれませんね…)

「おっ、これは新しいかも!」って思えるほうが、
わくわくできて、モチベーションが湧く
んですよね。

仕事では新規追求性が求められる環境ばかりではなく
必要でない場ではそっとしまっていたのですが。

でも『もう他にやってる人いる論』は
さすがに極端すぎる、って自分でもわかる。

飲み会の席でぽろっとでた弱音。
外に放たれたことで、
あらためてその言葉がもつ重い響きに気づいて、
少し反省しました。


コピーライター養成講座で、
7月に阿部広太郎さんの授業がありました。
忘れることはできません。
講義の結びになっていたのはこんなメッセージでした。

何者かになりたい。

なれないよ。

あなたは、
あなたになるんです。

学生時代からただ「何者かになりたい」と
ふんわり思い続けてきた私への警告のようで、
最初、ドキッとしました。

阿部広太郎さんは、現役で活躍されるコピーライター。
『あの時、選ばれなかった君へ』という書籍も出版されています。
講義の前に一読し、出版トークショーに行きました。
人の痛みや対してすごく真摯で、
心の葛藤と向き合った言葉にすごく共感できました。

『あの時、選ばれなかった君へ』の
『君』は、阿部さんご本人。
阿部さん自身「何者かになりたい」ともがいてきた歴史があったのです。

何者かになりたい。

なれないよ。

あなたは、
あなたになるんです。

そんな阿部さんからの講義で、
何者かをめざすのではなく
[わたし]を見つめて
[わたし]を受け入れることの
大切さに気づかされました。

しだいに、
あなたがやれば、それがオリジナルになるのだ

言ってもらえているような気持ちになりました。
いろいろな捉え方ができる言葉だと思いますが
私の心には、そんな意味になって入り込んできました。


先ほど取り上げた飲み会エピソードには続きがあり、
私の発言を聞いて
自分にとっては普通に思えても、
 他の人にとってはそうではないかもよ

と言ってくれた友達がいました。

まずは、歩み始めて、
その活動をきっかけに生まれる交流を
大切にしたいと考えています。
シンパシーを感じられた人との出会いは、
きっといいものだと思うから。

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