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アメリカの大学で教えてみないか(12):文系・理系、勝ち負けってなに?

大学院留学、文系と理系ではどう違うの?学界における勝ち負けってなんだろう、というあたりの話を書いてみます。

ちゃらんぽらんな気持ちで半分以上辞めるつもりで入った総合商社をやっぱり13ヶ月で辞めて、シアトルの大学院に入学した話は以前しました。商社には13ヶ月しかいませんでしたが、朝から晩までしゃかりきに働きました。

サービス残業なんて馬鹿らしいので、最初の頃は残業を全部つけてたんですが、部長に「この本部で残業代を請求してるのは君だけだよ」って言われたので、それ以来、残業はしませんでした。

それでも朝イチから退社時間まで真面目に働いてると結構フラフラになるし、3時までは全く仕事をしないで新聞ばっかり読んでる上司も、僕が終業時間にカバンを抱えて「他に何かありますか?」って聞くと、さすがに引き留めはしませんでした。もう結婚してましたが、奥さんとよくデートに行ったものです。

さて、13ヶ月しか働いてませんでしたが、相当に儲けました。今だから時効ですが、外国為替で法律違反すれすれ(多分違反してるw)のことをやりました。部長に相談された経理部長が「こんなバカなスキームを考えたのはどこのどいつだ。俺はこんなの見なかったことにしてくれ」って言ったって聞きました。

この「スキーム(詐欺とも言うw)」で一船200万円粗利が出ました。1年に六船あったので、1200万です。一船で5億もの取引をしてる総合商社なら1200万なんてはした金と思われるかも知れませんが、これはとんだ間違いです。商社の口銭(手数料)は大きな船でだいたい2%です。つまり、人船で5億x2%=1000万円。実際には手数料以外にもいくらかもらうので、もう少し多いでしょう。

ただし、この1000万円は粗利ではありません。ここから通信費やこの取引にかかった旅費などの実費を引きます。僕の「スキーム」で出た年間1200万円は粗利です。コストがゼロの儲けです。さらに、この儲けは僕が退社してもその取引が続く限り、なくなりません。なので、会社を辞める時も結構堂々としてました。損はさせてないですから。

その一方で、新入社員ですから、当然のようにポカもやりました。65万ドル(当時だと1億6000万円くらい)の比較的小さな船でしたが、船積みの日になって「おーい、為替予約、してあるだろうな」って言われて「???」。為替レートを前もって確定させないとお客さんに「xx円です」って言えないので、船積みの前に「予約」します。

僕が悪かったのか、引き継ぎをしてくれた先輩が悪かったのか。とにかく「為替予約」なんて聞いたことがない。慌てて為替レートを見ると、運の悪いことにドルに対して円がどんどん下がってます。逆なら「怪我の功名」でしたが。何日か経って、部長が「もういい、確定しよう」って言った時にはなんと1ドルあたり3円も下がってました。65万ドルですから200万円の丸損です。

で、気がついたこと。年間に1200万円粗利を出しても、予約忘れて200万円の穴を開けても、給料に変わりはありません。年功序列なので、同期入社の社員とほぼ同額の給料です。

もう一つ。総合商社っていうのは本部制がきっちりしてて、本部をまたいでの移動ってのは少ないです。つまり、入社した時点の本部で一生終わることが多い。僕の場合は「鉄鋼原料本部」なんですが、入社時点で本部は選べません。つまり、最初から石炭メーカーに就職するのと違って、ランダムです。

さらに、本部の勢いが出世にもろに影響します。僕が入社した当時は機械と化学品が花形で、木材なんて「貧乏くじ」でした。ところがそれから何十年も経つと、機械の輸出は先細りで、円高のおかげで木材による儲けがどんどん増えた(らしい)。

僕がいた鉄鋼原料も、僕が退社した直後にはコスト高や環境汚染のせいで「社運を賭けた」プロジェクトが潰れて冷や飯を食ったのですが、その後、石炭のガス化によって環境汚染が飛躍的に改善され、原油の高騰もあって返り咲きました。

商社にいた13ヶ月で、「これはつまらない」って直感的に思いました。まだ20代の前半だったからとにかく強気で、「自分の人生の勝ち負けを自分で決められない仕事にはつきたくない」って思ってました。

つまり、いくら儲けても損しても給料が変わらない(まあ、長期的にはそんなことはないんですけど)とか、たまたま配属された本部によって勤務成績、もっと有り体に言えば出世、つまり勝ち負けが左右されるのはつまらないって思ったわけですね。

今思えば、新卒で入った会社が倒産でもしちゃえば出世や勝ち負けなんて一発で崩れるので、商社だろうとなんだろうとそれほど変わるわけじゃないんですけどね。

とにもかくにも、「若気の至り」で、「運に左右されないで自分の力で勝ち負けが決まる」仕事をしたい思ったんですが、それまで考えてた学者ってのがやっぱりその可能性が高いかなと思ったんですね。

まあ、自分がついた指導教官ができる人なら自分にもいい仕事が回ってくる、くらいの「運」はありますけど、指導教官は自分で選べるので、「運」とも言い切れない。

まあ、結果論から言うと、学者ってのはやっぱり比較的運には左右されない職業だと思います。自分の研究の質と量が優れてればそこそこの大学に入る/移ることが可能だし、他の大学からオファーを取ってくれば大学を移らなくても給料が上がります。

ぶっちゃけた話、アメリカの大学で一番仕事ができる人は1つの大学に留まることは少ないです。引き抜きがいつもあるので、どんどん良い大学に移って行きます。その一方、テニュアの項で書いたように、業績がないとテニュアが取れずに一発でクビになります。

なので、僕のように一つの大学に何十年も留まる人は、大体が「平均点」です。勝ち負け、って言う点から言えば「引き分け」くらい?

まあこの歳になったら、お金や業績よりは毎日の時間的、精神的なゆとりが大事だって思うようになりますけど。若い時はまだ、ねえ。

さて、若い時に同僚や他の学部のせんせたちを見てて気がついた「罠」があります。学問や研究にかける時間ってのは自分で決められます。なので、その気になったら学問と研究以外の全てを犠牲にすることもできちゃいます。

ただ、これをやっちゃうと家族を含めた自分の生活や友人関係などの全てに悪影響が及びます。特に問題なのが、「時間をかけるほど業績が上がる」系の専攻です。具体的には生物や化学などの「実験系」の学問です。

特にかわいそうなのはネズミなどの飼育に携わる生物、医学系でしょうか。とにかく毎日世話や記録をしなくちゃならないので、若い頃は長期の休暇も取れません。それ以外の専攻でも、時たま物理や科学でノーベル賞級の研究が出た時に、「偶然の産物」ってことがあります。

こういうのは理論ー>データっていう演繹的な営みじゃなくて、データー>理論の「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」、英語で言うと「Fishing expedition」(魚釣り方式)と言う帰納的な営みなので、とにかく鉄砲を数撃たないと結果が出ないことが多いです。

逆に理系でも、数学や理論っぽい専攻の場合は文系同様、自由時間が多い傾向があります。頭をこねくり回して、優れた理論が生まれたら検証としての実験を行う(可能な場合、ですけどね)。

日本人をはじめとする外国人は言葉のハンデもあるので、理系を専攻する学者が過半数です。ちなみに、僕のいる大学には日本人の研究者が10人近くいますが、僕をのぞいて全員が理系です。それに、僕がやってる社会学ってのは(特にアメリカでは)、心理学や経済学とともにデータをどんどん数値化するので、相当に理系っぽい部分があります。

とは言え、僕の大学の先輩にはなんとアメリカに留学して「哲学」で博士号を取り、ニューハンプシャー州の大学でテニュア取ってバリバリやってる人もいます。僕の大学にもここ何年か、「英語・英文学部」に日本からの留学生が来て、順調に博士号を取ってます。

文系であれ、理系であれ、自分の研究や生活が楽しければ、人生「勝ち」ですよね。

見出し画像:大学のシンボルである時計台とフットボールスタジアムです。僕のオフィスがあるビルはこの間にあって隠れてます。

今回も長い文をお読みいただきありがとうございました。

人とは違う視点からの景色を提供できたら、って思ってます。