結婚満足度

アメリカの大学で教えてみないか(11):研究について

大学院大学で教えてる以上、研究は必須。じゃあ、一体何をしてるかについて書いてみます。

これまで色々と書いてきましたが、僕の仕事、「大学のせんせ」につきものの「学術研究」については何も触れてません。さすがにこの辺で書いておかないとw。

所属は「社会学部」ですが、専門は「家族社会学」「比較社会学」「社会階層論」「老年学」「幸福論」くらいになります。

学部での卒業論文は「文化とパーソナリティ研究序説:家族における社会化を中心として」とかいう題でした。実は、すっかり忘れてた卒論の題目提出の締め切り日に慌てて指導教官に電話した時に一瞬で「でっち上げた」タイトルでしたが、その割にはいいとこついてましたw。こういうとこは器用なんです。

ワシントン大学ではもう結婚してたこともあり、夫婦間の(不)平等に興味があったので「家事分担の量的研究」みたいのをやりました。博士論文はそのまま「家事分担の日米比較」です。夫と妻のどちらが家事と育児をするか、また、その分担はどうやって決まるか、というような話です。

まず、当然のことのように、アメリカの夫婦における夫の家事分担の割合は日本のそれよりはるかに大きい。29%と13%くらいでした。これは随分前のデータで、現在、アメリカにおけるそれは、計量の仕方にもよりますが、35%程度、日本のそれは大きく変わっていないと思われます。

家事分担には夫婦双方の就業形態、収入、性役割観、力関係などが影響してますが、このどれもが社会全体の男女差、イデオロギーなどに規定されるので、家事分担てのは理論的に面白い分野です。交換理論、葛藤理論、アイデンティティ理論、フェミニズムなどが交差してる最前線です。

家事分担を決める要因は大方日米共通でしたが、この統計モデルが家事分担を決定する説明力が国によって違いました。このモデルは広い意味で、「合理的選択モデル」よ呼ばれるもので、夫婦間のいろんな要因から「合理的に」家事を分担するとこうなる、っていうもの。

例えば、妻が仕事をしていれば夫の家事分担が増えるはずだし、妻の仕事がフルタイムであれば、残業や通勤時間が長ければ、また収入が大きければ夫の分担はより大きくなる「はず」です。逆に夫の労働条件も家事分担に影響を与える「はず」です。

で、面白いのはこのモデルが日本よりアメリカでよく適合すること。さらに調べていくと、このモデルは黒人やヒスパニックより白人に、台湾よりアメリカに、もっと面白いのはレズビアンのカップルよりゲイのカップルに、より良く適合することです。

つまり、アメリカに住む白人、それも男性が「合理的な理由」で家事を分担しやすい。それ以外のグループは、例えば「今までずっとそうだったし」「美味しい料理は(妻の)愛情の印」「そんなドライに決めなくても」みたいな「非合理的な理由」で家事を分担してる、という話になります。

さらには30か国近い比較調査で、個人の属性に加えて、国全体の男女差やジェンダーイデオロギーが家事分担に影響してる、なんて報告もなされました。

「合理的選択」なんて言われると難しい話のように聞こえますが、卑近な例をあげるとわかりやすいかも。以前にもちょっと書いたのですが、僕が通っていたのは「質実剛健」を売りにする中高一貫の学校でした。ここでは、中学に入ったばかりの新入生に、とある高校との「対抗ボートレース」とかいうのの応援をさせます。

この「応援団」てのが高校3年生で、中1から見たらもう別世界の「大人」。で、新入生を中庭に集めてその周りを台に乗った高3が取り囲んで大声で怒鳴るっていうアナクロなのをやってます(した?)。ビビる新入生の中にはおしっこ漏らす奴もいるくらいの迫力なんです。まあ、一種の通過儀礼です。

で、僕、これが嫌いで、「応援をしない応援団」てのを作ろうとした。つまり、この「伝統」を潰そうとしたんですね。当然のごとく選挙では負けたんですが、その時に対抗派のボス(実は今でも毎年夏と冬に東京で仲良く飲んでますけど)が言ったのが「理屈じゃねーんだよ」っていう一言。

これ、妙にストンと胸に落ちました。で、もしかしたら、これが僕が日本の社会に感じてた「違和感」の正体かもしれません。

つまり、「(日本では)理屈じゃないことがまかり通る」ってことを端的に言い表していたんですね。憲法は拡大解釈されるし、国会は本来決まっている運営方法なんて無視される。サービス残業も「理屈じゃない」し、生活保護の水際阻止も「理屈じゃない」です。

もちろん、何でもかんでも「理屈」や「合理的選択」で決めろって言ってる訳じゃありません。そんなドライな社会だと人間関係はギクシャクします。拡大解釈はあっていいもの。ただ、その範囲が国やグループ、あるいは具体的な問題によって違うってことです。

夫婦間の家事分担、なんて一見全然違うことを研究してても、何十年も前に感じた違和感に結びつくところが社会学の面白さです。

話が逸れちゃいました。

アメリカの文系の研究者は学術論文と著書、稀に学会発表論文の質と量でその評価が決まります。英語ではPublish or perish(出版しないとおしまい)って言います。なので、特に若いうちはしゃかりきになって論文を発表します。

家事分担だけでは限界があるし、もともとワシントン大学で院生をやっていた時は「老年学」をやっていたので、こちらの分野でも若い頃は論文を出してました。指導教官が研究費を取っていた、アラスカ州在住の老人の総合調査、介護労働の問題、3世代同居に結びつく要因などですね。

3世代同居、より大きくは拡大家族の問題ってのも面白くて、経済的な要因はもちろん大きいんですが、それだけじゃなくて、文化的な要因ってのも大きいです。

例えば人種と民族。

これは年齢構成に関わらず、アメリカでの拡大家族の割合を示したグラフです。左の白人に比べて、黒人、アジア人、ヒスパニック系、全てが拡大家族の割合(3色のエリアの合計)が大きくなってます。白人の10%以下に比べて全て20%以上。

さらには世帯主を基準にすると、黒人は「下方拡大(黒)」つまりシングルマザーが自分の子どもと一緒に親の家に同居するケースが多く、アジア人は「上方拡大(灰色)」つまり高齢の(両)親を引き取るケースが、またヒスパニックは「水平拡大(白)」つまり自分の国からきょうだいを呼び寄せて(あるいは最初から一緒に移民してきて)一緒に住むケースが多い。

こう言った人種や民族による拡大家族の割合の違いってのは明らかに文化的な要因です。

30年以上やっているといろんな方向に興味が向くもので、家事分担から派生して「結婚満足度」の研究も結構やりました。見出し画像はその「入門編」とも言われる有名なグラフです。まず、新婚時代は妻の満足度が高いのに、子どもが生まれるとすぐに妻の満足度は夫のそれよりも下がり、一生そのままです(もちろん平均値なので、例外はいっぱいあります)。

子どもが巣立った後の夫婦の満足度は新婚時代よりも高いってのも面白いんですが、このグラフには落とし穴があります。今時アメリカで「結婚->出産->引退」なんていう規範的な「段階」をふむ夫婦は少数派です。まず、半数が離婚するので、グラフの右半分は離婚しなかった夫婦しか残らず、左半分と比べるのは無理がある。

さらには子どもを作らない夫婦、結婚した時にすでに子どもがいる夫婦(再婚を含めて)、さらには一生結婚しないで同棲するカップルも数多いので、このグラフが当てはまらないケースが多く、このグラフ、専門家の間では忘れられてます。批判的に見るには良い教材なので、授業では相変わらず使ってます。ちなみにこれは、僕が「社会学百科辞典」だかに掲載したものから抜き取ったものです。

「結婚満足度」の研究から派生して「離婚の理由」、さらに最近では「生活満足度」や「幸福論」にまで手を広げています。ここ10年以上喫緊の話題になっている「少子化」もアジア諸国の場合は広義には「結婚」の問題でもあるので、当然ながら守備範囲です。

「老年学」から派生したものに、「ハリケーンカトリナでニューオーリンズから避難してきた老人たちの実情」っていうのがあります。

ここで詳しくは書きませんが、「家族の紐帯」が強く、ネットワークが地理的に広範囲であり(つまり、ニューオーリンズの外に避難する場所がある)、年齢層が高く(これは驚き)、女性の方が避難生活とうまく折り合いをつけている、という結果が出ました。

半分以上が平均すると信心深い黒人だったってこともあってか、「キリスト教のおかげで強くいられた」という答えが特に質的調査では多く見られたことも特筆すべきでしょう。

さて、社会学で一番重要な概念はおそらく「不平等」で、男女間、人種間のそれはフェミニズムや公民権運動を生みましたが、必ずしもそう言った個人の属性には寄らない不平等もあります。つまり、性別、人種を問わず、経済的に豊かな人たちとそうでない人たち。この手の不平等が生み出したのがマルクス主義ですが、社会学というのはこの伝統に大きく依ってます。

なので、家族研究だろうが老年学だろうが、「階層」という概念が必ず入ってきます。「階層」そのものを研究するのが「社会階層論」というもので、社会学の中心となる分野です。最近はこちらにも興味が出てきてます。

もともと僕は標準的な学者よりも興味の範囲が広いので、とっちらかっちゃった話になっちゃって申し訳ない。

ここ数年は指導する院生が増えちゃったこともあり、院生指導とその結果である共同論文が主になってます。そうなるとさらに「研究範囲」は広まり、「未婚韓国女性の結婚意識」や「収入の不平等について政府は責任を取るべきか」、「芸術参加を促す要因」、「台湾における塾の役割」、「青少年の抑うつ傾向は友人ネットワークにどう影響されるか」、「ネットワークが高校生の成績に与える役割」とか、なんでもあり状態です。

さらには「学部ちょー」なるものをやらされているので、自分で主導する研究ってのが少なくなってます。

まあ、もともと勉強が好きで学者になったわけじゃないので、これでもいいかなと相変わらずいい加減に考えてます、っていうのがオチでしょうか。

ちょっと更新の間が開いてしまいましたが、またもお読みいただき、ありがとうございました。


人とは違う視点からの景色を提供できたら、って思ってます。