ドッペルゲンガー

ドッペルゲンガーに出会った本人には不幸が訪れる

小学5年生のころ

大好きだった母方の祖父が亡くなった

大好きなトマトジュースが入ってると思って開けた冷蔵庫には

黒ごまプリンがたくさんあった

祖父が末期の癌で病室を嫌って、家にいた時に食べていたらしい

それしか食べれないくらい厳しかったらしい

当時はわからなかった

実感がなかった

俺はあの人の生き方が好きだった

好きなカメラに生きて
好きな油絵に生きて
好きな陶芸にいきて

好きなことをして生きてきて

俺が車が好きと言えば
大きな道路までおんぶで連れてってくれて
免許も持ってないのに車をずっと一緒に眺めてくれた

好きなことを大切にすることを教えてくれた
そんな祖父が大好きだった

痛くて涙が出たことはいくらでもあったが
何も出なかった

実感もなかった
というより認めたくなかったんだろう

自分の自由を愛して人の自由を愛した
今の自分の理念にもつながる重要な人

そんな人の葬儀は不思議なことが起きた
いや今考えてみたら不思議でもなんでもなかったんだけど

不穏な気持ちが隠せないまま向かった葬儀場には祖父がいた

どこかで祖父の死を認めていなかったのか
祖父は生きてるから今すぐ帰ろうと言って
祖父に向かって車を見に行こうと叫んでた

時間がとまったような気分だった

みんな下を向いてその場から動かなかった

亡くなったと思ってた祖父が生きていたのだから喜ぶべきだと思っていた自分にとって

全く理解できない状況だった

そのうち
母親がそっと俺の両肩を掴んで目を見ながら口を開いた

「おじいちゃんは確かにもういないの。」

祖父だった人は祖父の兄だった

やはり認められなかった

それが受け入れられるようになったのは

完成することなく主人の筆を待つキャンバスを見た時だった

確か葬儀の後はみんなで中華料理へ行った

味はよくわからなかった

あれから二度と行くことなく
気づけば店をたたんでいた

私は、象牙の置物、メロンの化石、古いPENTAXのカメラ、祖父が大切にしてたものを丸々引き継いだ
今でもたまに思う

あの時俺の目に映った祖父が祖父であれば良かったと

ドッペルゲンガーでも良いから
俺の祖父を続けて欲しかったと
本物が亡くなってしまったなら本物が不幸になることは無いのだと

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