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第8章 「元素と原子の話(1)」

「学問こそが最高の娯楽である」シリーズの第8章。このシリーズは毎週土曜日18時前後にアップします。

今回は化学の話です。

皆が何となく使っている「元素」と「原子」という言葉の意味について、化学の歴史と共にちょっと語ってみようかと思います。

いざ書き始めてみると長くなりそうなので3回にわけることにします。

1. 化学はしょっぱなに覚えることが多い

日本の学校で本格的に化学を学ぶのは高校生になってからですよね。

高校に進学すると、中学生までの「理科」というくくりじゃなくなって、「化学」という科目が登場します。

化学が苦手な人の理由は様々だと思うのですが、おそらく大きな理由になっているのは

いきなりわけのわからん記号がわんさか出てくる

とか

原子、分子、化合物、単体などといった単語がいっぱい出てきて把握しきれない

というあたりですかね。

「さっそく無理。理系は諦めよう。」と思った人も多いのではないでしょうか。

安心してください。

理系の学生も皆、最初は「無理!」と思っています(笑)

暗記すること多いですからね。

暗記嫌いの私も、心が折れかけました。

まずいきなり出てくるのがこれです。

「周期表」ってやつです。

表の中の元素は全部で118個あります。

私が高校生のころに買った教科書では灰色の部分の元素のいくつかは未発見でしたが、2016年に全部の正式名称が決まって、現在ではそれぞれちゃんとした名前がついていますね。

さて、こんな記号の羅列を覚えられるわけないやろと思いませんでしたか?

安心してください。

世界中の化学者でも、これを全部覚えてる人なんてほとんどいません。

化学者と言っても専門分野は色々ありますから、自分が普段注目している元素以外はよく知らないのが普通です。

例えば私は「Dy」という元素記号を見ても、周期表での場所どころか、これがなんという名前の元素かすら知りません。

確かに最初はいっぱい覚えることがあるんですが、実は全部覚えてなくてもゆっくり勉強していけば大丈夫です。

表の下の方の元素の順番は「放射化学」の分野以外ではあまり重要でもないので、とりあえず上から3行目(第三周期)までと、「K(カリウム)」「Ca(カルシウム)」まで覚えましょう。

「水兵リーベ・・・」という語呂合わせの歌で覚えられます。

あとは、日本人なら113番の「Nh(ニホニウム)」は一応覚えておいてほしいところですね。

2. 元素と原子って何が違う?

ちょっと前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。

この「周期表」というのは、「元素周期表」とも呼ばれます。

化学の元素を並べた表なので、元素周期表です。

周期表では普通はそれぞれの元素は「元素記号」で記載されています。

一番上の行から「原子番号」の順番に並んでいます。

さて、ここで問題。

「元素(げんそ)」と「原子(げんし)」、この二つの言葉の意味はどう違うでしょう?

例えば、水素原子の原子番号は1番で、元素記号は「H」です。

原子は英語で「atom(アトム)」、元素は「element(エレメント)」です。

理系の学生でもこの二つの違いをあまり意識せずに使っている人も結構見かけます。

この二つの言葉の意味はよく似ているのですが、実は明確に違います。

それでは、次の節から「元素の探究」から「原子の発見」までの歴史の話をしましょう。

3. 元素の探究の歴史

元素(element)という言葉は、化学をやったことがない人でも聞いたことがあるかもしれません。

ファンタジー作品やテレビゲームなんかでよく登場しますよね。

火属性だとか、土属性だとかいうアレです。

これは古代ギリシアやエジプトの時代に存在した、世の中の物質の根源は火・風・水・土の4つの元素によって成り立っているという思想から来ています。

これは英語でFour elements(四元素)などと呼ばれています。

東洋にも似たような五行思想というものがあって、こちらは木・火・土・金・水の5元素です。

漢字を見れば、曜日の名前なんかに名残りが残っていますよね。

この思想は現代の感覚だとかなりオカルトな印象になってしまっていますが、元々は科学の世界で信じられていた概念です。

大昔に人は火を使うことを覚えたわけですが、その結果、物を燃やすと物質はその姿を変えてしまうことがあるということに気づきました。

木を燃やせば灰になり、水を燃やせば沸騰し、金属を高温の火にかけるとドロドロになります。

そういった経験を積み重ねる中で、人類は「物質の根源は何か」という問いに納得のいく答えを求める様になりました。

物質の根源、すなわち「元素」の探求です。

そして、元素はいくつかの単純な要素にまとめられるはずだ、と昔の学者は考えて、西洋の四元素、東洋の五行思想が生まれたわけです。

これらの思想はシンプルで受け入れやすかったためか、誕生から実に1000年以上もの長い間にわたって支持されることになります。

4. 錬金術の発展から化学の誕生

鉱石から化学的処理によって金属を取り出すという技術の歴史は古く、ユーラシア大陸の東西にわたって、紀元前の昔から青銅(ブロンズ)や鉄の道具が普及していました。

しかしこれらは経験的にわかっていた技術というだけで、まだ体系的な化学にまでは発展していませんでした。

そのような歴史的経緯の中で生まれたのが「錬金術」です。

「錬」とは金属に熱を加えたり混ぜ合わせたりすることで鍛え上げる工程のことで、「錬金術」とは金(きん)を作り出そうという技術のことです。

古代の人々は、価値の低い金属から価値の高い金を作り出す技術を開発しようと試行錯誤を繰り返すようになったのです。

なお、現代の化学では金以外の物質をいくら混ぜ合わせて反応させたとしても、金ができることはないことがわかっています。

しかし、錬金術には非常に夢があることから、世界中でありとあらゆる研究が行われ、科学技術の発展に寄与する結果となったので、バカにすることはできません。

5. ヨーロッパにおける錬金術の発展

1000年以上にわたる錬金術師たちの研究の成果が実を結び、化学の基本骨格が成立したのは17世紀のヨーロッパでした。

現代の化学の教科書に載っている重要な原理や法則の多くは、17世紀~18世紀の間に発見されています。

このため、西洋の科学技術は東洋のそれとは比べ物にならないほど発展し、18世紀後半の産業革命につながりました。

東洋人としては、少し残念な気持ちになってしまいますね…。

でも安心してください。

欧州の「四元素」はどれもハズレですが、東洋の「五行思想」の1つの「金」は元素なので1個だけ当たってます!(笑)

というのは冗談で・・・私が考える、ヨーロッパで急激に科学技術が発展した理由は以下の3点です。

(1) 中東イスラム世界の最先端の錬金術の知識の流入

(2) 実験による実証の重視

(3) 学会、特許制度の充実

(1)に関して、意外に感じる人もいるかもしれません。

実は中世ぐらいまでは錬金術のメッカは中東イスラム世界でした。

東洋と西洋の中間に位置するこの地域では、東西の知識の融合が起きるとともに、国家が積極的に錬金術を奨励したという背景があります。

アルコールやアルカリという言葉はアラビア語の定冠詞「アル」が語源となっていることから、そのレベルの高さがうかがえます。(イスラムはんぱねえって!)

その知識がルネサンス期のヨーロッパで一気に注目を集めるようになったのです。

東洋においても中東の知識が届かなかったわけではありませんが、あまり注目されなかったようです。

ヨーロッパと中東の距離感と比べると、東アジアは地理的に遠かった点も関係あるかもしれません。

このあたりは文化人類学の研究テーマですね。

(2)に関しては、これは学者の怠慢としか言いようがありません。

東洋も西洋も、昔の学者というのは基本的に書物によって知識を得て、頭の中で考えて理論を構築するというスタイルが主流でした。

実験というのは、どちらかというと職人さんの仕事だったんですね。

それが中東に見習い、学者もしっかりと実験によって実証するべきという機運が高まったようです。

そして(3)の理由。

個人的にはこれが最も大きな原因ではないかと考えています。

17世紀に、イギリスの王立協会、フランスの王立科学アカデミーが相次いで設立されました。

また、科学の新しい知見に関する論文を募集し、著名な科学者がこれを審査して、新発見と認定されれば公開されるというシステムを整えました。

論文が公開されれば、科学を志す人々は名前を売ることができ、研究の職を得ることにも繋がります。

また、これにより、それぞれの研究者の秘伝だった研究成果が集約されることになり、新たな知見がほぼリアルタイムに共有されるようになりました。

そして、特許制度の登場がこれに拍車をかけます。

発明の成果を発明者に帰属させ、お墨付きを与えることで研究者の意欲を向上させる効果がありました。

まさに名誉と実利の両面でサポートする体制が整ったことになります。

この2つは科学界における大発明と呼べるかもしれません。

6. 原子の発見

ここからは、原子の発見に関しての重要な仮説や発見に関わった化学者について話します。(全員、高校の化学の教科書に出てきます。)

まずこの人。

17世紀のイギリスの王立協会に所属していたロバート・ボイルという実験科学者で、熱力学の「ボイルの法則」で有名な人です。

この人は「 The Sceptical Chymist(懐疑的な化学者)」という著書の中で、ついに突っ込んだ議論を展開します。

元素って4個じゃなくね?」と。

むしろ、元素って小さい粒子なんじゃないかと。

物質を細かく分けていったら、最終的に「これ以上単純な物質にはわけられません」という最小単位が存在するはずちゃうかと。

これを「元素」ってことにしませんか?

と言い出したわけです。

当時のヨーロッパ中の科学者が「だよねえ。」と言ったとか言わなかったとか。

実際、この時点でも「これ以上、単純な物質には分けられません」という「元素」候補は結構見つかっていました。

次にこの人。

この人物はフランスの王立科学アカデミーに所属していたアントワーヌ・ラボアジエという名のフランス人科学者です。

近代科学において重要な発見をし、「近代化学の父」と称される人物です。

高校化学の教科書には「質量保存の法則」の発見者として名前が載っていて、ときどき試験にも出題されることがあります。

質量保存の法則というのは、「化学反応の前後で物質の質量の合計は変わりません」という話なんですが、これは当時としては物凄い大発見でした。

考えてみてください。

木を燃やしたらどうなりますか?

灰になりますよね。

スッカスカになって、重さはめっちゃ減りますよね。

一方で、スチールウールを燃やしたらどうなるかわかりますか?

実は重たくなります。

これは長年謎の現象だったのですが、ラボアジエはふと思いつきました。

もしかして、これは鉄に空気がくっついて重くなったんじゃね?と。

逆に木が軽くなるのは空気として抜けていってるんじゃないかと。

そして、実際にフラスコの中で空気ごと閉じ込めて燃焼させてみたら、重さが変わらなかったのです!

大発見!

もちろん、燃焼に空気が関わることは過去の研究でわかっていたので、完全に一からラボアジエが思いついたわけではないのですが、実際に重さを量って証明したというところが凄いんですよね。

この結果を受けて、ラボアジエは「すべての物質は元素の組み合わせでできており、燃焼(化学反応)ではその組み合わせが変わるだけ」と結論付けました。

ラボアジエは燃焼の実験を通して、燃やすと水になる元素(水素)や燃やすと酸の元になる元素(酸素)を確認し、その名付け親でもあります。

ちなみに酸素が「酸の元になる」というのは後に否定されていて、名前だけが虚しく残る結果になっています(笑)

余談ですが、この偉大なる近代化学の父は、貴族だったことが災いしてフランス革命のときにアホな市民によってギロチン刑にされてしまいました。ひでえ。

さて、この質量保存の法則を発展させる形で、化学反応で反応する物質の元素の質量の比率は常に整数比になっていることを発見したのが、同じくフランス人科学者のジョゼフ・ルイ・プルーストです。

これを「定比例の法則」といいます。

法則の名前と共に、プルーストの名前もたまにテストに出ます。

そして、次に満を持して登場するのがこの人です。

理系でこの人の名前を知らん奴は潜りっていうぐらい有名なジョン・ドルトン、イギリスの科学者です。

ドルトンは物質を構成する「元素」は「それ以上細かくは分割できない粒子であり、それぞれ固有の性質と質量を持つ」という仮説を提唱しました。

また、ギリシャ哲学の概念を語源として、これを「原子(atom)」と名付けました。

ドルトンの原子論」あるいは「ドルトンの原子説」と呼ばれるものです。

ドルトンは実験から得られたデータを元に、その時点で判明していたいくつかの元素について「原子の相対的な質量(のちの原子量の元になった数値)」を発表しています。

科学者たちが探し求めていた元素(物質の根源)の正体は「原子」ということが広く受け入れられていくようになりました。

7. おわりに

さて、とりあえず今回は「原子の発見」までに焦点を絞りました。

高校化学の教科書の序盤に立て続けに登場する科学者たちと法則の名前。

テストに出るからしょうがないということで一生懸命覚えるしかないのですが、時代背景とか歴史と一緒に考えると、少しは身に付きやすいのではないでしょうか。

また、今回の記事の内容だと、「元素=原子」ということになってしまいますが、実はここから先に色々な発見があり、元素と原子は厳密にはことなるものになりました。

その話は次回に紹介したいと思います。

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