選手がコーチを選べないシステム

最近話題のアマレスのパワハラ問題を見ながら、ずっと前からなんとなくモヤモヤしていた感情を言語化してみる。

栄和人氏が伊調馨を「とにかくやめさせたがっていた」田南部力氏が証言
http://news.livedoor.com/article/detail/14376561/


正直言って、栄和人氏や田南部力氏に直接会ったこともないし、どんな人格かも知らないので、一般論です。

例えば、フィギュアスケートの場合、オリンピックに出場する日本代表選手のコーチ陣は選手自身の意向がかなり反映されているように見える。

実際、オリンピック代表選手にはそれぞれ個別にコーチがついている。

他のスポーツで言うと、マラソンだったりテニスなんかも同じ。

これらのスポーツの共通点は個人競技であるところ。

それぞれの選手はそれぞれが慕うコーチの下でトレーニングを積み、国内外の選考大会での競争を勝ち抜いて日本代表を決めている。

一方で、団体競技に目を向けると、基本的にナショナルチームの監督・ヘッドコーチは各スポーツの協会が指定するシステムをとっている。

これはスポーツの性質上しょうがないもので、日本中から最高のメンバーを集めて1つのチームを作らないといけないので、個人競技のようなシステムは取り様がない。

なので、日本を代表するレベルの能力を持った選手であっても、チームの戦術に合わない場合は代表から外れることもそこまで珍しくない。

場合によってはコーチとの不和によって代表から外されたり、あるいは代表に呼ばれながらも試合に出してもらえない、なんてことも時々見られる。


でも、客観的に見てものすごく不思議なコーチシステムをとっている競技が存在する。

柔道とアマレスなどの格闘技。

これらのスポーツは個人競技であるにも関わらず、日本代表のコーチが確定していて、選手側はコーチを選べない。

私は栄コーチは実績からしても十分能力が高いだろうと思っているし、吉田沙保里選手など、日本を代表する強豪選手からも慕われているように思う。

でも、それとは別問題として、やはり人と人とで合う合わないの問題があるのは当然だし、伊調馨選手や田南部力コーチとは方針が合わないのだろう。

なら、選手の意向に沿ったコーチの下で指導してもらう方がお互いに良いのではないのだろうか。

個人競技なのに、なんで日本代表の監督・ヘッドコーチが特定の人物に決まってるのかなーと考えてみると

これはおそらく、選手同士が直接対戦しないと成立しない競技という性質が原因と思われる。

格闘技で最高の練習環境を得るためには、同等程度のレベルの練習パートナーがいないと成立しない。

最高レベルの選手が一か所に集まる練習環境の方が効率的なのかもしれない。

しかし、やはり気になる。

特定の大学の監督が日本代表のヘッドコーチを兼任する状況が何大会も続くのはどうなんだろう…?

こうなると必然的に日本代表を目指す選手はその大学に進学せざるを得ず、一強状態が続いてしまうのではなかろうか。

本人の望む望まないに関わらず、権力の集中は周囲の忖度を生むし、それが結果的にパワハラに繋がることもあるだろう。

結果を出し続けている限りは栄コーチは日本代表コーチであり続けるだろうし、栄コーチと方針を異にする人がアシスタントコーチに選ばれることもないだろうし…。

かつてトルシエ監督がW杯メンバーから中村俊輔を外したとき、全国のサッカーファンは驚いただろう。

しかし、チームスポーツという性質上、戦術的な面で納得する部分もあった。

でも、レスリングのような個人競技において、五輪4連覇の実績を誇る選手が日本代表コーチとの不和が原因で不遇な扱いを受けているとなると、どうもモヤモヤした気持ちがぬぐい切れない。

別に代表コーチ制じゃなくてもよくない?

謎すぎる…。

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ざるにい

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