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マクドナルドをめぐる試み

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1.マクドナルドと政治



 3月20日19時頃、朝から何も食べてなかったので高田馬場のマクドナルドに来た。しばらくマクドナルドに行っていなかったのだが、この前「人志松本の酒のつまみになる話」でアンタッチャブルがビックマックソースについて熱弁していたのでビックマックを食べに来た。アンタッチャブル曰くビックマックのソースは他のハンバーガーには入っておらずビックマックでしか味わえないらしい。さらに、ビックマックのソースは世界中のマクドナルドで同じ味らしい。そんなわけでマクドナルドに久々にいき、ビックマックLセットとチキンナゲット(バーベキュー)とシャカシャカチキン(レッドペッパー)を頼んだ。

マクドナルドといえば、ロシアのウクライナ侵攻に反対する消費者の要請に応じて2022年3月8日(火)に「ロシアにおける外食事業の一時停止」をした。ニュースでは、ロシアでの最後のマクドナルドを楽しむためにパーティーしている人たちが報じられていた。日本でもマクドナルドが営業終了することになったら、パーティーをするだろうか?マクドナルドなど永遠にあるように思えるが、それでもこのような形で日常から消えるんだと思うとなんだか不思議な感じだ。そういえば、お世話になっている方がマクドナルドの日本第一号店(=銀座店1971年)の開店時に面接を受けて落ちた話をしていた。今71年と書いてふと全共闘の時期の街の風景にはマクドナルドはないんだと思った。

しかし、政治運動とマクドナルドの関係は深く、フランスにおいては1999年8月12日に「欧州が米国のホルモン肥育牛肉の輸入を禁止したことへの報復として、米国がフランス産のロックフォールチーズに対する制裁関税を課したことへの抗議」として、マクドナルドを「多国籍企業による文化破壊の象徴」に見立て、Altermondialismeの活動家ジョゼ・ボヴェ(1953年6月11日 - )を中心にフランス南部のミヨーに建設中だった店舗を破壊する運動があった。フランスではマクドナルドは随分前から批判の的らしい。

そう考えるとマクドナルドとグローバリズム、資本主義、政治はロシアのウクライナ侵攻の前から切り離せない問題であったことがわかる。ちなみに1999年8月12日の前日はぼくの生まれた日(1999年8月11日)だ。

そういえばフランスに旅行したときマクドナルドに行ったのだが、フランスのマクドナルドでは入り口のところでマカロンなどが売っていて日本のマクドナルドとはかなり印象が違かった。従業員の数も日本より多く、注文は巨大なタッチパネルだった。台湾に行ったときもタッチパネルで注文したのだがなぜ日本ではこれがないのだろうか。人件費も安くなるし、店員の仕事も減るはずなのに。スマイルを0円で売るためにはやはりタッチパネルは駄目なのか…。またフランスのマクドナルドの話に戻るのだが、ポテトを頼んだらお好みでケチャップの他にアップルソースが選べたのが印象的だった。マカロンも同じだが、反マクドナルドの風潮に煽られ、フランスナイズされたのだろう。日本の月見バーガーみたいな感じか。
マクドナルドで毎回思い出すのは、昔性格の悪い友人とマクドナルドに行ったときに家族連れの人たちを見て、「家族でマクドナルドかよw」といったことだった。そいつは本当に最低なのだが、そもそも家族の外食としてマクドナルドに行くことが、おかしいとは僕は全く思わなかったのでびっくりした。富裕層の育ちからしたらマクドナルドに外食で来るのは変らしい。僕の家庭は今でこそそこそこだが、僕が小中学生のときはロウアーミドルクラスあるいはそれ以下に属する家庭だったので、家族でマクドナルドを食べるのは月に数回ある楽しい外食の選択肢の一つだった。てかむしろマクドナルドって高いだろ。今でもかなり、嗜好品な気がするが。

2.ロッテリアをめぐって



ベトナムに行ったとき、ベトナム人に聞いたところによるとマクドナルドは高すぎてベトナム人はほとんど食べに行かないらしい。彼らは代わりにロッテリアに行くようだ。ベトナムの首都ハノイにはロッテリアの親会社ロッテのロッテタワーという高層ビルがある。かなり街のシンボル的なものになっているらしく、台湾で言う台北101みたいな扱いを受けている印象だった。そのため、ベトナムではロッテリアはかなり馴染み深いのだろう。

この文章を書いているときにふと思ったので調べたのだが、そもそもロッテリアはロッテのアイスを売るために作られたもので、ロッテLotteとカフェテリアCafeteriaを合わせてロッテリアらしい。1972年9月東京日本橋高島屋で第一号店がオープンしたようだ。関係ないが、沖縄返還の4ヶ月後だ。日中共同声明と同じ月の出来事だ。世界史的にはウォーターゲート事件などがある。現代思想史的にはドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイディプス』が出た年であり、ロラン・バルトが『新=批評的エッセー』Nouveaux Essais critiquesを出した年でもある。余談だが、ロラン・バルトの1964年の著作Essais critiquesは通常エッセ・クリティックと呼ばれるが、別の日本語訳では「批評をめぐる試み』と訳されている。Nouveaux Essais critiquesだとEssais critiquesの部分が批評的エッセーとされるが、Essais critiques単体の場合、このEssais試みと訳されるらしい。1972年といえば僕は大学受験期に世界史選択だったため日本史の勉強を全くしてなかったのだが、友人(現在早稲田大学政治経済学部)の東進の日本史一問一答を見てマイナーな一問一答を覚える遊びをしていた。そこで今でも覚えているのが、1972年にダイエーが三越百貨店を追い抜き百貨店業界一位になったということだ。イクナニダイエーと暗記した。なぜか、ずっと忘れられない。これが僕の高校日本史唯一の知識だ。(念の為、「ダイエー 1972年」と調べたところ平井岳哉『成長期におけるダイエーと商社の関係― 1960年代と1970年代を中心に ―』という興味深い論文を見つけた。高度経済成長やバブルを考える上ではダイエーは外せないのだろう。)ダイエーといえば中学生の頃友人たちと死ぬほど屯していた場所だ。今では地元のダイエーもイオンに吸収されてしまって別のショッピングモールとなってしまったが、僕はイオンよりダイエーのほうが好きだ。今でも地方のイオンの看板にダイエーの看板の跡などを見つけると嬉しく思う。イオンといえばジャスコやサティなど昔は色々あった。僕の記憶違いかもしれないが、地元千葉のダイエーではひたすら千葉ロッテマリーンズの歌We Love Marinesが流れていて、僕は野球をほとんど知らないがこの曲だけは歌える。

再びロッテリアの話に戻るために、奢らず勝ち進む王者であるところの千葉ロッテマリーンズとロッテリアの小話をしようと思う。海浜幕張駅の前の建物プレナ幕張には千葉ロッテマリーンズのショップがあるのだが、その隣にロッテリアがあった。2つは連結していて、僕は千葉ロッテマリーンズだからロッテリアなのだと思ったのだが、久々に行ったらバーガーキングになっていて混乱した。ファストフード店なら何でもいいのかと思ったのだが、今調べたらバーガーキング再上陸後(一回目の上陸が西武商事・JT運営期(1993年 - 2001年))の株式会社バーガーキング・ジャパンは2006年ロッテとリヴァンプ(REVAMP)によって設立されており、2007年日本再上陸第一号店新宿アイランドイッツ店が開店したようだ。つまり、バーガーキングと千葉ロッテマリーンズは親戚なわけだ。2010年8月21日 にはロッテリア(韓国法人)がロッテらから経営権を取得したため、僕が千葉ロッテマリーンズのショップに再訪したときはロッテリアが経営していた時期なのだろう。しかし、2019年以降はBKジャパンホールディングスに経営が移っているので、もしかしたら今は隣はバーガーキングではないのかもしれない。



今調べたら全然関係ない店が隣になっていた。千葉ロッテマリーンズ…。

3.日本近代文学の終わりと日本近代ファストフードの終わり



マクドナルド(1971年上陸・銀座店)、ロッテリア(1972年開店・日本橋高島屋店)、バーガーキング(1993年上陸入間店、2007年再上陸新宿アイランドイッツ店)を調べたのでついでに他のファストフード店の日本での第一号店も調べてみたい。ケンタッキーフライドチキンKFCは1970年11月21日愛知県名古屋市西区に1号店として名西店がオープン。モスバーガー1972年に1号店として成増店をオープン。

モスバーガーは日本発祥なのは知らなかった。しかしやはり1970年前半というのがファストフードの時代のようだ。三島由紀夫(1925年1月14日-1970年11月25日)はケンタッキーが上陸した四日後に死んだのだな。それでいうと中上 健次(1946年8月2日 - 1992年8月12日)が死んだあと栗原幹雄(1951年4月12日-)は同年フレッシュネスバーガーを創業し、1992年の12月14日に1号店となる富ヶ谷店を開店している。「日本近代文学は終わった」(浅田彰)あとに、ファストフードのニューウェーブ(健康志向のファストフード)が始まったのだ。

中上健次が「岬」で芥川賞を受賞したのが1975年なのも注目に値するかもしれない。彼のキャリアは日本のファストフードチェーンと偶然にもリンクしている。(中上が生まれた2年後にはアメリカ・カリフォルニア州でマクドナルドもまた生まれているのだ!)実際これは全く偶然だが。なぜなら、本当の意味で日本に現代ファストフードの流れが生まれるのはサラ・カサノバ(1965年4月6日 - )が日本マクドナルドホールディングス株式会社代表取締役社長兼CEOに就任する2014年からだからだ。『ハーモニー』(2008年)以後の健康ユート=ディストピアとしてのファストフード。そのような意味では伊藤 計劃(1974年10月14日 - 2009年3月20日)はファストフードとともに生きた作家だったのかもしれない。

4.マクドナルドのボードレール 



文学とファストフードみたいな話で言えば、ちょっとズレるがミシェル・ウエルベック(1958年2月26日 - )は「スーパーマーケットのボードレール」と揶揄されており、自身でも現代社会論の中でスーパーマーケットの話をしている。

スーパーマーケットの論理は欲望の散逸をかならず誘発する。スーパーマーケットの人間とは、その気質からして、唯一の意志、唯一の欲望をもった人間ではありえない。それゆえ、現代人においては一種の意欲の減退が生じている。個人がさほど欲望を抱かなくなったわけではなく、逆にますます欲望を感じているのだが、欲望それ自体が何かしらけばけばしく、騒々しいものになったのだ。この欲望はまったくの見せかけというわけではなく、その大部分は外在的な規定──広義において【宣伝による】規定と言えるだろう──の産物である。

ミッシェル・ウエルベック『発言2020』(2020年)収録「混乱へのアプローチ」(1992年)(西山雄二訳)

フレンチ・リアクション――ミシェル・ウエルベックと新反動主義(前編)http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3484&syosekino=14542

全く、「スーパーマーケットのボードレール」と称した人間はボードレールのこともウエルベックのこともしっかり理解しているに違いない。ウエルベックに関しては前述のジョゼ・ボヴェとほぼ同世代であり、さらに農業技官を育成するためのエリート校であるグランゼコールの国立パリ-グリニョン高等農業学校(ヌーヴォーロマンの旗手アラン・ロブ=グリエの母校)を卒業していることは指摘するべきだろう。彼の処女作『闘争領域の拡大』(1994年)から『セロトニン』(2019年)に至るまで農業(つまり、食)のテーマは彼の作品に一貫して現れている。また、ウエルベックの小説の中でもマクドナルドの表象は現れる。例えば『地図と領土』(2010年)で。しかも、それは主人公のジェドが老人ホームで人生の終盤を送っている父との食事の場面で、その表象が現れてくるのだ。


医療介護付き老人ホームに入ると、かつての家長―いまやとうとうまぎれもない〈老いぼれ〉と化した―は、いくぶん寄宿舎の児童のような境遇に身を置くことになる。たまに訪問客がある。それは幸せなひとときであり、外の世界の様子を知り、ペピート[ビスケット菓子]を食べたり、ロナルド・マクドナルド[マクドナルドのチェーン店に置かれたマスコットのピエロ]に会ったりすることができる。

ミシェル・ウエルベック(野崎歓訳)『地図と領土』(2010年)

 外界との接点を断たれ、無欲的に生きるジェドの父が外界と接するものはマクドナルドのピエロなのだ。ここ箇所を理解するにあたって、この『地図と領土』の中心的なモチーフとしてミシュラン(1863年創業)が扱われていることに注目しなければならない。なぜなら、タイヤメーカーのミシュランは車を走らせるためにミシュランガイドを1900年に作ったのだから。つまり、マクドナルドのようなグローバルな食ではなくローカルな食事を紹介するものなのだ。このミシュランのモチーフは芸術家ジェドの出世作であるミシュランの地図を上から撮った写真を始め、恋人のオルガの勤務先としても現れる。老人ホームでほとんど引きこもりの父と違い、まだ他人との交友関係のあるジェドは大半を車で移動し、オルガと美味しい料理を食べたりする。作中の移動がほとんど車であること(列車は2回、飛行機はウエルベックに会いにいくときだけだ)や、やたら登場する料理や料理人はこのミシュランのモチーフを蝶番としている。

5.ロシアとマクドナルド



ちなみにフランスでのマクドナルド一号店は1979年のため日本より遅い。
マクドナルドのアメリカ国外進出が1960年のカナダからであることを考えるとフランスは遅めだ。ドイツが1971年、イギリスが1974年と他のヨーロッパと比べても遅めの印象だ。ちなみに冷戦などの対立もあったロシアではミハイル・ゴルバチョフ(1931年3月2日 -)のペレストロイカ(1985年)以降、1990年1月31日にモスクワに第一号店ができたようだ。

ウクライナ侵攻によってマクドナルドが閉鎖されるのを惜しむのも、このような歴史的な問題があるからなのだろう。似たように、ソ連時代のアメリカ=資本主義的とされるものがソ連崩壊(1991年)後に人気になるケースにアディダスがある。1980年に開催されたモスクワ五輪においてアディダスは選手団のユニホームを提供したのだが、アディダス本社のあるバイエルン州はアメリカが統治する西ドイツであり、アディダスをユニフォームとして採用することはソ連にとって資本主義に屈したことを意味していた。そのため、折衷案としてアディダスの線三本を二本にして採用した。これを着た選手団は大活躍し、アディダスは大人気になるも正規品を手に入れるのが難しかった。そのためソ連崩壊後の1991年にアディダスの正規品が輸入された際再びブームが起こった、という経緯だ。このような理由もあってロシアのヤンキー「ゴプニク」たちの中ではアディダスが今でも大人気で、アディダスを着たロシアのラッパーがいたりする。

6.マクドナルド、このくそったれ売春宿!


長々と書いてきてしまったので、そろそろ最後にしたいと思う。フランスではマクドナルドのことを「マクド」と呼ぶ。これは関西人のマクドナルドの呼び名と同じであるため、たびたびトリビア的に紹介される小ネタである。しかしなぜ関東のように「マック」と呼んではいけないのだろうか。フランス語ではマクドナルドはMcDonald’sと表記する。この前半をとってMcDoなわけだ。しかし、なぜマックではダメなのか。僕の持っている電子辞書でmacと調べてみる。すると「男性名詞 (俗)maquereau」と出てくる。なるほど、つまりマックとはフランス語では何かしらの単語の略語であり、つまりスラングであることがわかる。ではmaquereauで調べてみる。「①(売春婦の)ひも、情夫、ジゴロ②ぽん引き、女衒、売春宿の主人」と出てくる。つまり、マックとは売春を想起させる俗語なのだ。ちなみにAppleのMacBookやMackintoshはどうなのかと思ったが、表記は変わっていない。ただおそらく日本のようにMacとは略さないのだろう。

À travers les lueurs que tourmente le vent
La Prostitution s’allume dans les rues ;
Comme une fourmilière elle ouvre ses issues ;
Partout elle se fraye un occulte chemin,
Ainsi que l’ennemi qui tente un coup de main ;
Elle remue au sein de la cité de fange
Comme un ver qui dérobe à l’Homme ce qu’il mange.

ボードレール 『悪の華』(第一版)「夕べの薄明」LE CRÉPUSCULE DE SOIR

風が揺さぶる薄明りを通して
「売春」が街路のあちこちに火を灯す。
蟻塚みたいに,彼女はあちらこちらに出口を開いている。
至るところ彼女は裏道を切り開き,
まるで急襲を仕掛ける敵のようだ。
彼女は泥だらけの都市の真っただ中にうごめいて
あたかも「人間」から食べ物をかすめ取るうじ虫のようだ。

清水まさ誌「ボードレール 「夕べの薄明」を読む」より訳を引用

いうまでもなく、ボードレール においては売春婦は聖女として現れる。ベンヤミンはここに「商品」の問題を絡め、商品であるが神聖でもある弁証法的イメージとしてボードレール の詩を読む。最高に美味く庶民的なマクドナルド我々の食欲を、味覚を動物化させるような加工食品を提供する食の売春宿であるマックを内に秘めている。マクドナルドもAppleのMacbookも、まるでサドのエクリチュールのように、その淫らさを文字に隠す。フィリップ・ソレルスによるサドのエクリチュールの解釈を見てみよう。

 そう、言葉はここで本性を変える、それらの言葉は高ぶっていて、滑稽で、むごたらしく、燐光を放っている、人は語るために語り、行動するために行動する。フランス語で男性器を指す言葉vitが途中で失われてしまったのは残念だ、そしてその言葉とともに、すばやくて、生気を与え、生命維持に不可欠なひとつのシグナルが。vit(男根)の形をしたvie(生)は、vice (悪徳)のvigueur(力強さ)およびvivacit(活発さ)と脚韻を踏む、美徳は殺す、ということが十分すぎるほど真実であるように。一個の《三プースの、そしてそれ相応に大きな、長いクリトリス》(八センチ以上)は、すでに一個のbite(陰茎)よりも一個のvitに近い。もしvitがばかでかく、血まみれになってオマンコとケツに穴をあけるなら、それはひとつの器具かひとつの槍、いや、ひとつの雄ラバの性器になるだろう。とはいえ、そう、vitは生きたのである。結局sade[十六世紀頃までは「心地よい」を意味した]という言葉も消えた、そしてわれわれに残されているのはその反対のもの、maussade(無愛想な、鬱陶しい)である。
 名前は、ここでは幾重にも重ねて刺繍された言葉であり、花束である。おぞましく、忌まわしく、愛らしいジュリエットがマダム・ド・ロルサンジュ(Lorsange)と呼ばれるのは偶然ではない。彼女は悪の天使(ange)である黄金(l'or)と血(lesang)のためだけに生きている。

フィリップ・ソレルス(鈴木創士訳)『サド伯爵の幻の手紙』

ダンテの詩の区分について「このような区分(描写する、物語るという意味での「区分」だが、それはこの語〔division〕を語源上、区分―区別―細部の解釈─描写─語り─発話という連鎖の最初の単語にしている)cette division (au sens de décrire, raconter, qui fait de ce mot, étymologi-quement, le premier de la chaîne :division-distinction-explication détaillée-description-récit-propos)」(Philippe sollers(拙訳) ,”Logiquess”収録“DANTE ET LA TRAVERSÉE DE L’ÉCRITURE”(拙訳:ダンテとエクリチュールの横断)と言うような実にソレルスらしい手つきだ。あくまでお遊びだが、これを真似てみようと思う。McDonald’sという言葉、MC(〜の子孫)の形をしたMac(女衒)。McDonald’s(ドナルドの子孫)は売春宿で生まれた子供だ。グローバル資本主義の「私生児」Légitimité、彼はグローバル資本主義=ドナルドを「父」とし、我々に惜しみない身体的な快楽plaisirを与え無限の享楽Jouissanceへと誘う。
ちなみにフランスでコカ・コーラはコカcocaと略す。コークcokeにはコカインcocaïneの意があるためだ。マクドナルドとコカ・コーラ、アメリカナイズされたグローバルな飲食は我々を売春とトリップへと誘うのだ。

現在AM4:00、マクドナルドを食べてから9時間も経ってしまった。ちなみに僕は今日マックでコークを飲んできた。

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