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恥ずかしながら今更らき☆すたを見たのだが、これ永遠に「オタクの眼差し」を問い続けるアニメじゃんという話。


僕は『きんいろモザイク』『ゆゆ式』『ゆるゆり』がとても好きなので、そのノリで恥ずかしながら今更『らき☆すた』を見たのだが、予想と全然違ってびっくりした。斬新なEDなどはもちろんそうだが、一番驚いたのがこのアニメが永遠と『オタクの眼差し』について問い続けていることだ。登場人物の少女たちの何気ない会話の中では、「女児誘拐事件」や諸々の小児性愛者的な犯罪の話題が挙げられる。僕の記憶する限り4回は話題に出た。しかも何気ない登校シーンなどでだ。これらの犯罪は彼女たちの周囲を囲む見えない眼差しとして潜んでいる。もちろんオタク=小児性愛者というわけではないが、作中でも捕まった犯人の家からアニメ、ゲームなどが押収されるなどの話題が上がっており、「オタクへの眼差し」としてそれらの犯罪を「オタクの眼差し」とする世論が存在しており、見るものが見られるという構造になっている。実際、この作品では、オタクの眼差し=見る側の客体=見られる側がしきりに舞台上に挙げられることにより、むしろ逆説的にオタクが客体として型どられているのだ。キャラたちがしきりに「胸」を気にするのも、キャラが「萌」として評価されるのも全て「オタクの眼差し」である。それらの眼差しの客体として提示するものであり、この作品がある意味では「オタクの眼差し」以外の何物も移していない(いや、眼差しているのはオタクなのだが、しかし見られているのもオタクの眼差しなのだ)。このようなことに衝撃を受けたが、既に語られていそうだし、暇だったので書きました。

 

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