何者でもなくてヤバイ
去年とか一昨年は自分が何者でもなくてヤバかった。
ざっくり言えば半分無職で、子供の頃からなんとなく乗ってきたレールから脱線し、線路脇に転がっている状態だった。もうそっちには復帰できる気がしないし、そもそも道を進んだ先というものに興味がなくなって、かといって別の路線まで這いずって乗り直すこともせずにゴロゴロしていたのだ。車輪は空転し、燃料はひたすら無駄に消費され、同年代はどんどん線路の先へ消えてゆく。
めちゃくちゃにヤバかった。
特に、友人や知人がちゃんと頑張って何かの成果を上げているのを知ると本当に心が軋んだ。夢を追いかけて叶えたやつの笑顔が眩しすぎる。知人じゃなくたって、たとえば絵の仕事を見つけたり探したり、文を書いてみんなを楽しませている、「何者か」になりつつある人を見ると、自分がいかに日々ゴロゴロしているだけなのかを痛感してしまって、どんどんみじめになるのだ。しかしやる気は出ない。時間だけが過ぎていく。
ずっと何者かになりたかった。名乗れる路線名が欲しかった。
……と思うのだが、最近は、わりと平気になっている。
特になんらかの医療機関で診てもらったわけではなく(病院に行く気を出して探してそこへ行くというタスクはハードルが高すぎた)、ただ単に気が変わったらしい。あるいは「何者か」にようやく成れたのだろうか、と考えたが、身分にたいした変化は無い。強いて言えば半無職から完無職になったことくらいである。
思い当たる原因といえば、両親に「そこまでやってダメならまあダメであろう、ほかの道でいいぞ」と脱線を認めてもらったことかもしれない。それまで精神を軋ませていたのは「親に申し訳ない」という気持ちが強かったから、意外とあっさり容認されてずいぶん楽になった。聞けば、母にも脱線の経歴はあるらしい。そういえば兄も現状脱線中である。父は……しっかり一本の線路を進んでもうすぐ定年だが、つまりわれわれ兄妹は母に似たらしいな。
何者かになるのは諦めた。故郷に錦を飾りたかったが、向いていなかったようだ。ああは言ってくれたが親はさぞかし落胆しただろう。まあ向いていなかったのだ。そう言い切って、諦めることができた。
そもそも何者かになりたくて生きていくわけではない……と思う。人と名声を競い合うのが人生の目的ではなかったはずだ。他の人がいっぱい賞賛されて愛されているのを見てヤッカミを抱くのはやめたい。私には関係ないことだ。遠くへ行ったりスピードを出したり、しっかり整備された名のある路線で走ったり、それはそれで大変に立派なことだが、かといって私が精神を濁らせる義理はない。
私はただ、なんかこう、周りの景色をながめつつ、ちょっとでいいから進んでいければ楽しいのである。
思えば以前に書いた旅行の記事でだって同じことを言ったじゃないか。「目的地に向かうにあたって、経路を調べ、スケジュールをちゃんと組み、それに従うタイプと、ぼんやり向かって、日が暮れたら帰り、目的地に到達していないことにすら気がつかないタイプとがいる。私は後者だ。」
目的地のランドマークへ行くことじゃなくて、なんでもない、何者でもない道中を歩くのがいつも楽しかったのだ。タフなやつの行程についていくのは無理だ。諦めよう。一人で、目的地も決めず、日暮れまで適当に歩いてゆこう。
何者でもなくてヤバかったときに羨ましくて仕方がなかったのは、どう考えても絵の仕事とかとにかくクリエイトする仕事をがんばっている人たちだったので、その心に従ってそっちを目指そうと思う。しかし、「成る」のが目標ではない。日銭を稼いで食っていくのが目的である。何者にもなれないかもしれないが、楽しく日々を暮らしていけたら、私の勝利だ。
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