マスクを忘れた日

玄関に置いてある不織布マスク。
仕事に向かう日の朝、必ずこれを一枚とり、イヤホンと時計をつけてから家を出る。
毎日のルーチンの中に埋め込まれていて、これまで1日も忘れたことはなかった。

今朝、通勤中に自分がマスクをしていないことに途中で気づき、驚いた。
暑い日が続くので、外せるタイミングではできるだけ外していたものの、まさか持ってくるのも忘れる日が来るとは思わなかった。
脱マスクが推奨されてからも、コミュニケーションが得意ではない私は、表情を隠せるマスクはずっとつけていたいとさえ思っていた。

自分の中で、本当の意味でコロナに対する恐怖心やコロナ禍という現象が一区切りついたのだと思う瞬間だった。
マスクをつけている安心感は確かにあるが、思い返せば、肌荒れにはじまり心肺機能の低下など様々な悪因となってもいた。
それにも増してメリットがあったかどうかはわからないが、そう思う日常が長く続いていたのだと思った。

インフルエンザの流行時など、これからも時と場所を選んでマスクの装着はもちろんしていくと思うが、『人権』などと言われ、常につけていないとが非常識として白い目で見られる日は遂に終わりを迎えたのだろう。

北風と太陽ではないが、今年の夏の猛暑も脱マスクに無関係ではない。
マスクを外すのには、みんなが辛い数年間を忘れる時間と、花粉症の季節の終わり、そして夏の猛暑を要したのかもしれない。

少なくとも私は、今日がその日だったようだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?