見出し画像

元恋人の話、取り扱い注意にて

「あなたってよく元恋人の話をするよね」と最近親しくなった人に言われて、一瞬考えこんだあと、そりゃそうだわと思った。20代の大半を共に過ごし、良くも悪くもたくさんの影響を受けてきたわけだから、私の話をしようとすると必然的に元恋人の話が出てきてしまう。

生きづらい世の中であることは分かってはいたけれども、どう生きれば分からなかった頃、インドをふらふら旅をしていて出会ったのが元恋人だった。当時幼かった私の眼に彼は社会の自由の隙間を泳いでいる大人にみえた。ガチガチの常識人の私が自由人の彼と付き合っても長く続かないことは分かっていた。それでも、長い人生の数年くらい彼の影響を受けてみるのも面白いかもと思って彼と共に生きることを選んだのは昨日のことのように覚えている。

あれから10年の歳月が経った。彼の影響でシェアハウスに住み始め、福祉の現場で働き始めた。彼がいなかったら到達しえなかった未来に私はいる。「付き合う」という概念には諸々の意味合いが含まれると思うけれども、そのうちのひとつに互いの人生に影響を与え合うことを選択することが含まれると思っている。相手の頭の中に広がる世界に到達できるいわばパスポートのようなもの。

だから、別れたいまでも自分の中に彼の存在を感じることは多々ある。というか、私という容器それ自体がこれまで出会った人々から受けた影響の集合体なわけで、その中でも元恋人達の影響は親とか親友とか大好きな音楽や文学とかそれらを全て超越する勢いで彼がいる。

そして、出会ったときの彼の中に見つけた憧れを自分の中にもうすっかり取り込んでしまったからこそ、別れが訪れたのかもと解釈している。だって、当時憧れていた彼の世界観は目を瞑っていても自分ですっかり再現できる。ゴールテープはとうの昔にぶっちぎってしまっていた。

敬愛するミュージシャンの池見優くんの曲に「バンドマンと付き合うな曲にされるぞ」(曲/合図/2020)というフレーズがある。本当に昔の恋人の話をしたり書いたりばかりしていて申し訳ないと思うけれども、物書きの宿命として、それだけは大目にみてほしいと思ってる。そして、安直な気持ちで近寄ってくる魑魅魍魎達には気をつけろとも。

でも、まあ私がここに書き記すことなんてすべてフィクションなのでどうかお許しください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?