もう師走という安心感と、その進化論的矛盾。-2023年12月19日の日記

更新をさぼりまくって申し訳ない。三日坊主が過ぎるぞ、私。


今年ももう年の瀬ということで、世間には「〆」の雰囲気が漂っている。M-1グランプリ、紅白歌合戦、流行語大賞、エトセトラ、エトセトラ。私はこの「〆」の感じが昔からすごく好きだ。お年玉とか帰省とかが重なるのもあるけれど、物事にけりがつくことによって安心するのはきっと自分だけではないと思う。

終わりのないタスクは自分にとってはっきり言ってしんどい。やっぱりゴールが見えていたほうが、たとえその途中の過程がわからないとしても入口と出口がわかっているからどこか落ち着く、となっている自分をよく感じる。私は当てもなく走り続けるのが苦手なようだ。

しかしこう考えるとアフリカで生まれたホモ・サピエンスのなかでふるさとを出て新天地へと歩みを進めた人びとは、私が思っていたよりはるかにすごくて、不思議な存在なのかもしれない。インターネットが世界人口の半分以上をカバーし、衛星通信も一般化しつつある現代において、私たちを先導する存在ほたくさんある。だが、当時は外の世界を知る術が自らの五感から直接入ってくる情報のみだったわけでその恐怖は想像を絶する。

テクノロジーの進歩に伴って私たちはリスクを取らなくても良くなった。しかしこういったことから推察するに私たちは自然淘汰により本質的に冒険者であるように感じる。夢を追う人を社会は軽く扱うが、迷ったらワクワクする方向に進むのは人としてある意味自然な発想なのかもしれない。

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