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武器を持たざる傷だらけ 運動神経が悪いということ Vol.4

朝の通勤時間は、あらぬ方向へ目が向いてしまう。駅でベンチが空いていると腰をかけたくなり、降りた電車の反対側のホームへ上ってそのまま帰れたら、どんなに幸せだろうなどと考える。これが若かりし頃ならまだしも、間もなく38歳を迎えるいまも変わらない。何の仕事をやっても「慣れた」という手応えに乏しく、長く任されてきたことでさえ、説明を求められるとしどろもどろになる。どこかで読んだ、記憶のメカニズム。人は無意識に思い出すうち記憶を深めていくらしく、なるほど思い出したくもない仕事のことなど、記憶されないのだろう。こんな有り様のまま、15回目の年度初めを迎えている。

周囲のできる人を見渡して、思うことがある。みな、仕事自体はともかく、仕事に関する「何かが好き」なのではないか。例えば、仕事は嫌でも「職場は好き」であれば、理想的だと思う。仕事はそうでもないがそれをそつなくこなせる「自分は好き」という例に当てはまる人がもっとも多いように映るのは、私の色眼鏡のせいだろうか。私はずっと、仕事自体も嫌なら、仕事をする自分はもっと好きになれない。

「身体の傷は消えても心の傷は消えない」お医者さんだった中島みゆきのお父さんの言葉だという。実際、こんな脆弱な頭にも、辛い経験はいつまでも刻み込まれている。諸先輩から後輩に至るまで、やたらと辛く当たられることが多かった。同僚のうち、これほど怒られ、蔑まれてきたスタッフは、きっと他にいない。苦手なことや欠点なら、誰しも少しはあるものだろう。ただ、社会人になって思い知った世間の真理は、それが許される者と許されざる者の違いがあるということで、どうも私は後者らしい。

運動神経が悪いせいで、子どもの頃から冷やかされることには慣れてきた。それでも、良き友に囲まれているうちは嫌な気もしなかった。思えば初めて家の近所を離れ、ほぼ知らない者同士の環境に置かれた高校時代、あれが負の転換点だったろうか。距離にすればたった一駅の通学が異世界への入り口となって、居場所もラベルも失った私は、いつしか「帰宅部」の立場に安住してしまった。以後、年齢に反するように内向的な傾向は深まり、職場では「できないヤツ」というラベルだけもらって、居場所のほうは見つけられずにいる。

多くの人は、10代後半ともなると何かしら社会との接点を持ち、社会人としてのトレーニングを積むなかでスキルや知恵を高めていく。宴席のマナー、勘所の見極め方、要領の良い立ち居振る舞い。私には知らないことが多すぎた。企画や立案、あらゆる主張を通して課題を解決するには強さが求められることは、働く前から何となく想像できた。しだいに、人の懐に入ること、何があっても受け流すことも立派な能力だということがわかった。強さという「攻撃力」は無くとも、「守備力」があれば何とかなるのだろう。部活にもサークルにも属さず、バイト経験すら乏しいまま社会に出て痛感したのは、仕事もそれらと地続きの世界だということだ。しかるべき時期に社会との接点を持たなかったことで、私は攻撃力や守備力になり得る武器を身に付ける機を逸してしまった。仕事とは戦場なのだとすれば、何の武器も持たず丸腰で飛び込んだ者が傷だらけになるのは、必然だったのだ。

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