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書くことと描くこと。


どちらかと言えば、書くことよりも描くことが得意な子どもでした。

小さい頃はスポーツと同じくらい絵でも賞状もらってたんじゃないかな。もちろん、佳作とかも合わせてなので、さほど大したことはありませんが。

文章を書くのはそれほど上手ではなく、なにかの感想文を書かせた日には「今日は〇〇をしました。嬉しかったです。」程度のひどい出来ばえだった気がします。そんな状況なのに、夏休みの定番「読書感想文」では、書きにくそうな星新一さんの本を読んでいました。あとは、バスケ漫画か世界情勢についての本をよんでいたかな。でも、とにかく文章を書くことはそれほど得意なことではありませんでした。


高校生のタイミングで、無料ブログサービス「デコログ」が流行り、ブログを書くようになってから、それぞれが自分のなかにもっている小さな世界観をオンラインで公開するようになりました。それと同時期に、Twitterでもなにかしらつぶやくようになったわたし達世代は、書くことや発信することを成長とともにほとんど無意識でやってきたのではないかと思います。(少なくともわたしはそうでした。)

決して難しいことを語りたいわけではなかったのですが、当時から真面目になりすぎることを防ぐために抽象度をあげて書くことが多かったわたし。友達に、「ポエマー(笑)」とからかわれていたのですが、その時にたまたま「並河の文章おもしろいから書き続けて」と言ってくれる友達がいたんですよね。

待ってくれる人がひとりでもいるなら書いてみるのもいいかも、なんて思いつつやってきたことが、結果としてお仕事のひとつになっているのはなんだか不思議な気分です。

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そして、描くこともまた、おもしろい広がりがあって。

小さい頃は「こんな世界があったらおもしろいだろうな〜」と、表現のひとつとして絵を描いたり、絵本をつくったりしていました。大学生になると、難しい本を理解するために読んだ内容を図解しながら描いていました。

誰かに言われたわけではなく、そのほうがストーリーとしてのイメージが湧いてくるので、いつの間にかそうしていたように思います。(中東問題の発端であるイギリスの三枚舌外交について絵を使ってプレゼンしたのは、先生にとってもなかなか新しかったようですが、難しい本を図解するのは理解が深まってたのしいのでおすすめです。)

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時代の流れとともに伝えるツールが増えたことで「思考」を表に出しやすく、また、以前よりも「共感」を集めやすくなったのは言うまでもありません。

「書くこと」「描くこと」どちらも、ひとりでは続けていなかったんだろうな。友達や先生の反応がなかったら、たぶん続かなかったんじゃないかなと今になって思います

自分の書いた文章がきっかけで誰かの行動につながったり、自分が描いた絵を通して亀岡の暮らしをたのしんでくれる人が増えたりしたら、それはとてもしあわせなことですし、少しでもそういうところにつながるものを届けていけたらいいなと思っています。


「書くこと」と「描くこと」でお金をもらう日がくるなんて、あの頃の自分は考えていなかっただろうな。どちらも夢中になれることのひとつだと思っているので、今すぐではないけれど、今後も「自分事業」として大事に育てていきたいです。


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