深く息をするたびに

Ely先生が書かれて,田中竜馬先生が訳された「深く息をするたびに」を読みました。積ん読の本が多くあるのに。時間もあるわけではないのに。
でも,どうしても読みたくて。夜勤の傍らに読み始めました。

身につまされることがたくさん書いてあり,そうだそうだ!と思いながら読めるところもあれば,自分のプラクティスがEly先生の書かれているプラクティスとかけ離れていて読むのが辛いところも多々ありました。

読みながらある患者さんのことを思い出しました。

消化器外科医になって1年ぐらいのころのことです。
腸閉塞を来した進行大腸癌の患者さんを担当することになりました。
何か自己免疫性疾患のためにステロイドやら免疫抑制剤やら服用されていて全身状態があまり良くなかったので,科で議論の末にS状結腸切除と人工肛門の造設を行いました。幸いなことに経過は順調で無事に退院されて,10日目ぐらいに手紙をいただいたのです。

その手紙には,私達への感謝の言葉とともに,家に帰って,そうじをしようとしたら自分の思ったとおりに体が動かず,あまりの衰えに驚き,涙が止まらなかったということ,そして病状が悪くなったら私たちの病院に入院させて欲しいということが書きつづってありました。
そして最後はこう結ばれていたのです。

「具合がわるくなる日を待っています。」

笑顔で退院されたはずなのに…。
すごく打ちのめされたことを覚えています。
今でもこの手紙を読むとその時の記憶が蘇りますし,手紙のことばが胸に突き刺さります。この本の帯の「救命できるのなら後遺症で人生が壊れてもいいのか?」という問いかけのように。

もう一つ思い出したのは,学生の臨床実習で麻酔科を回ったときに初日に麻酔科の教授から言われた言葉です。
「患者さんの今日という佳き日のために麻酔科医は働くんや」
言われたときはわけがわかりませんでした。
手術の日が「佳き日」のわけないだろうと。

でも,確かに,多くの患者さんにとって手術とかICUへの入室は一生に一度でしょうし,大きなライフイベントなのです。
その場をしのぐことだけでなく,患者さんの人生のなかで周術期管理とか集中治療がどうあるべきなのか,患者さんのためになるにはどうしたら良いのか,
麻酔科医や集中治療医は考えなければならないという教えなのだと思うようになりました。まあ,本当の意図は聞けてないのですけど。

患者さんが両足で歩けて,箸でメシが食えて,一人でトイレに行けて,近所に買い物に行けて,孫と遊べて,掃除が出来て,そして笑えて。
患者さんにとって手術の日やICUで過ごした日々が「佳き日」になるように。
私も頑張らなくちゃと思える,そんな本でした。
できてないことたくさんあるけど。


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