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我が子のウンチのお世話に対する心理的負担の変化

生まれたばかりの赤ちゃんは、丸ごと全部かわいい。
日に何度もオムツを交換するし、やわらかいウンチがたびたび出てくるから、手にウンチが付くこともしばしばある。ウンチを漏らした赤ちゃんの服を手洗いすることだってしょっちゅうだ。
わたしはそのときウンチを触っても嫌悪感は感じない。自分の赤ちゃんだからなのかな。

一方の夫は、第一子の赤ちゃんを抱っこするとき、よだれが自分に付いたらアルコールウエットティッシュで拭きとってさえいた。それを見てわたしは「長男ちゃんのよだれはキレイなんです、失礼な」と半分冗談半分本気で言っていた。自分の赤ちゃんを汚いもののように扱わないでほしい。
夫の手にウンチが付いたときなんか、きゃあきゃあ言って大騒ぎだ。すごく嫌なのか、子どもがウンチを大好きなように、男性は大人になってもウンチ関係で盛り上がってしまうのか・・・。

次男の離乳食を開始して1か月くらいが経過した。
赤ちゃんあるあるだが、離乳食を開始してから便秘になった。綿棒浣腸をしてもあんまり出ず、硬いのがおしりの出口にある。ウンウン頑張っているものの出てこない。わたしは次男の時はじめてイチジク浣腸の子ども用を使った。緊張したけど、すぐに効果があったから良かった。(なおイチジク浣腸のサイトには離乳食期の便秘解消メニューが掲載されていて参考になる)
綿棒浣腸をしながらまだかまだかとウンチを待つのも、母子の閉ざされた育児空間ならではのこと。出てきたウンチはポジティブな存在だ。

赤ちゃんのお世話をするまで知らなかったのだが、離乳食を開始する前の赤ちゃんのウンチは臭くない。ヨーグルトのような、むしろ心をほんわかさせるいい匂いだと感じる。おっぱいとかミルクだけを飲んでいるので、お腹の中は乳酸菌が優位になっていて悪い菌がいないのだろうと想像している。
でも、離乳食を開始してしばらくたつと、形状も匂いも立派な大人のウンチに変化していくのだ。そうすると、ほわほわ柔らかい赤ちゃんのイメージから、力強く成長していく乳幼児というようなイメージに代わってくるのだ。

3歳長男のオムツ外しの時期、ウンチがついたパンツを手洗いしないとならない状況は、かなり心理的負担が大きかった。新生児のウンチが付いた服を洗うのとは大違いだ。やっぱりウンチがいっちょ前の大人のウンチっぽくなると、ウンチは汚いものという考えが頭を支配するようになるのだな。いくらかわいい自分の子どもでも。

子どものウンチと親のかかわりは長く続く。
オムツが外れるまでは、オムツについたウンチの処理をしないといけないし、オムツが外れた子どもでも、トイレでウンチをしたあとにお尻を拭くというお世話がしばらく続く。うーん。すこししんどいが、それもひっくるめて子どもを育てるということなのであって、世の中の子育てを終えたおばちゃんのこと尊敬するしかない。

自分の子どものウンチの処理でさえ心に小さな気合が必要なのに、世の中の保育士のみなさんがよその子のトイレの世話をしてくださっている姿をみると、足を向けて眠れない気持ちになります。ありがたや。

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