ポスト資本主義の希望、日本

「現在の日本の位置、世界の歴史のただなかでその位置はどう考えたら良いのでしょうか。資本主義の隠れていた問題が表面化してきます。今日ではこの問題が極限にまで深刻化しています。科学的知識の資本化は、資源と環境の危機によって人類の種としての存続を危うくしています。第二に、昔の暴君や征服者の暴力とは次元が異なる、貨幣の抽象的構造的な暴力があります。第3に、競争的個人主義につきまとう心因性精神疾患の問題です。資本主義は経済だけではなく、心的精神的な、メンタルな問題でもある。そして私は、現代世界で宗教が再び時代の焦点になってきている背景には、このメンタルの問題があるとみています」


「こうした状況が世界の中での日本の歴史的な位置を際立たせています。資本主義がはらむ問題がここまで深刻化したことが、日本の位置を比類なくユニークなものにしているのです。第一に、戦前の軍事大国になった日本は最後には原爆に見舞われ、戦後の経済大国になった日本は原発事故に行き着きました。つまり日本は資本主義の功罪、そのプラスとマイナスの両極端を体験した稀有な国なのです。第二に日本は欧米の外に存在する唯一の成熟した資本主義国として独特の位置を占めています。そういう国だから、日本人は例えば、成長の限界といった議論を、賛否は別として理解できる。他方、欧米では資本主義はキリスト教の罪の文化と深く絡み合ってしまっています。だから欧米人が資本主義を超然と客観的に捉える事は容易ではありません。だが日本人は、資本主義を大局的見地から論じ相対化できる位置にいます。
第3に、日本は資本主義が純然たる軍事的外交的要因によって成立した点でも類のない特殊な国です。日本の資本主義はあくまで欧米列強の軍事的外交的な圧力の産物で、19世紀の帝国主義的な国際環境に適応するための戦略でした。日本の資本主義は外づら、国際環境に強いられた擬態なのです。おそらく日本人の生来の体質や資質には反する擬態です。現在の日本人も、近代はもうたくさんだ、プラスよりマイナス面が多くなったと感じたら、資本主義からさっさと脱却するかもしれない」


「海外には少数ながら、日本の資本主義が外部からの力で強制された根の浅いものであることに注目している人たちがいます。例えば文明批評家のモリス・バーマン(Moris Berman)やジェームズ・ハワード・カンストラー(James Howard Kunstler)は現代アメリカの知性を代表している存在と言えると思いますが、日本に高い関心を示しています。彼らはアメリカに絶望仕切っている。アメリカは最近おかしくなったのではない。建国の時点で経済的物質的成功と繁栄と言う価値観、エゴがすべての競争的個人主義の倫理しかなかった。だから成功と繁栄の条件がピークオイルなどで消滅すれば、人々が食い殺し合う暗黒時代に陥る。だが日本人は昔から限られた資源を利用し協力しあって生きる術を学んできた。そして資本主義が行き詰まっても、日本人には立ち返るべき悠久の遺産と伝統がある。労働の成果ではなく過程を重視し、労働を自己修養の作業とみなす職人の伝統がある。事象の儚さ、移ろいやすさに美を見いだす感性、生とともに死を受け入れ、腐朽や壊廃も宇宙と生命の変遷の一様相として愛でるわび、さびの美学がある。そしてバーマンとカンストラーはともに、日本はいずれその伝統に戻り、世界に先駆けてポスト資本主義社会を実現して人類の模範になるだろうと予想しています」


「これは自国に絶望したアメリカ知識人の過剰な思入れなのかもしれません。日本の現場では閉塞と混乱、日本がアメリカナイズした高度成長型の郷愁ばかりが目に付きます。今の日本について楽天的な事は言えません。だが若い世代は打ちのめされているわけではない。進歩史観とも皇国史観とも縁が切れた彼らは、歴史を考えるのではなく感じようとしています。そして彼らの感性の次元で、日本の文化的伝統は確実に再生していきます。古代以来、日本は常に極めてユニークな国でした。おそらく若い世代は、その生き方を通じて日本のユニークさの意味を歴史的に再定義し、それによって日本だけでなく世界にも貢献することになるでしょう」

関さんの論に諸手を挙げて共感します。このビジョンをできるだけ多くの人と共有したいと感じています。まず100人ぐらい。この数が顔の見える直接的な関係の人数だそうです。101匹目のサルという話もあります。

その次の段階がその100倍の1万人。これが地域としてまとまる数のようです。その次が100万人。その次が1億人。ホップ、ステップ、ジャンプ、よいこらしょ、の4段階で日本の国レベルになります。日本人が国レベルでこのビジョンを共有できれば、まさにポスト資本主義のモデルになるでしょう。そうしたらその次のレベル、100億人の地球レベルで次の文明へと人類は進めます。地球の楽園化ですね。資本主義の背後にある原罪意識、罪と罰の意識、その帰結としての快楽と苦痛、支配と恐怖という倒錯した文明から解放されて、自然で心地よい惟神(かんながら)の文明への発展的に回帰していく道。

どうですか。やれるじゃん、という気がしますよね。まずは100人として繋がりましょう。

Love&Peace

関曠野「日本史を再考するⅡ」(『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』所収)

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