明治政府の洗脳

「開国と維新について大半の日本人は根本的に間違ったことをいまだに信じています。明治政府による洗脳が解けていないのです。まず、第一に開国があったから維新が起きたと言うように開国と維新に因果関係があったかのように思い込んでいる。実際は、開国による日本の一時的混乱にこれ幸いとつけ込んで薩長が武力クーデターをやっただけです。薩長は、外様の雄藩として関ヶ原の幕府に対する積年の恨みを晴らしたかっただけです。大義など何もなかった。当初は倒幕の大義として尊王攘夷を掲げたけれども、状況次第でくるっと変わって英国と手を結んだりした。徳川に買って天下を取る事しか頭になかった」


「第二に、幕府は因循姑息な守旧派で薩長は近代化を目指す革新派だったみたいに思われている。これは間違いと言うより、事実とは正反対です。薩長は関ヶ原のお礼参りといった発想しかできない固陋な田舎侍の藩で、本州や九州の辺境にあったせいもあり、江戸、京都、大阪のような都市の開明的な文化も及んでいなかった。開明的革新的だったのは徳川幕府で、武家の古い思想で凝り固まっていたのが薩長です。当時の日本で最も西洋の事情に通じ開明を代表していた福沢諭吉が一貫して幕臣だったことを忘れてはなりません」


「また第3に、これは司馬遼太郎あたりが広めたのでしょうが、維新は欧米の植民地主義の脅威に対抗するためのものだったと言う議論があります。これはまったくのこじつけです。当の薩長や明治政府の高官もそんな事は言っていません。戦前の天皇制国家主義者もそんな事は言っていない。皇国は欧米列強に植民地化される恐れがあるような弱っちい国では無いからです。また当時、欧米列強が日本の植民地化を計画していたと言う証拠はどこにもありません。もちろん、近代はヨーロッパ人による海外進出と植民地時代の時代です。そして先に述べましたように17世紀にこの脅威を察知し適切な対抗策を講じたのは徳川幕府です」

「アメリカの黒船はたった4席でした。しかし当時の日本では、各地の米を大阪の市場に運ぶ沿岸海運が経済の大動脈になっていました。黒船はそれ対する脅威でした。海軍を持っていないことが、日本の弱みでした。だから形だけ開国して諸外国を適当にあしらいながら海軍の創設など軍事力の近代化と内政改革を進めて、日本を開国に耐えられる体質を持つ国にする。これが当時の幕府の戦略だったと思われます。この幕府の戦略の足を引っ張ったのが、薩長による内戦の脅威でした。そして薩長が英国と連携したので、対抗上、幕府もフランスに援助を求めた。植民地化の脅威に対処どころか、薩長の暴走のせいで倒幕佐幕の内戦には、英仏の代理戦争になる危険もあったのです。そして薩長がクーデターの口実にした天皇の倒幕の密勅なるものが薩長や岩倉具視が偽造したものである事は、日本史の常識です。このまた幕府と朝廷の協調を遵守し重視していた孝明天皇の急な病死についても毒殺の疑いが消えません。このように明治維新なるものは、日本史上、唯一のスキャンダルでした」

明治維新がいかに裏切り、陰謀、嘘や騙しに満ち満ちていたか、本のタイトルを忘れてしまいましたが、直接体験した人の記録を読んだことがあります。そしていま検索したら、原田伊織さんという人がそのあたりのことを詳しく研究し、本にしていました。

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%8E%9F%E7%94%B0%E4%BC%8A%E7%B9%94&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss_1

こちらも読んでみたいと思います。

いずれにせよ、ぼくたち日本人は日本の歴史をきちんと知り、右翼/左翼、ねっとうよ/ぱよく、などという捏造された対立のなかで、喧嘩、対立している場合じゃやないよと知るべきときに来ているということです。

しっかりとしたヴィジョンを持って、一億人の日本人が一緒になって立ち上がり、動き出せば、世界は必ず変わることができます。それが日本人の世界史的な使命ですよ〜、みなさん。使命を楽しみましょう。


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