江戸と幕府の先進性と禊の必要性

「ここ30年ほどで日本人の歴史意識に生じた最大の変化は、江戸時代についての評価が様変わりしたことだと思うのですね。江戸時代に対する肯定的ないし公正な評価がむしろ主流になってきている。これは、江戸時代は武士が庶民を虐げていた停滞した時代と言う明治国家のプロパガンダの呪縛から日本人が解放されたと言うことだと思います」


「江戸時代の成果に西欧文明の使える部分を適切に追加し補足する。そういう近代化はあり得なかったのか、という問いです。明治以来の国家による上からの近代化、西洋化からの脱却です。日本人はあくまで日本の歴史の産物で、ヨーロッパ人に改造できないのですから。そういう視点から江戸時代のどこを評価するか、考えてみたいと思うのです」


「古代以来、日本は、自治、分権、多元性を特徴とする社会としていわば定向進化してきましたが、江戸時代はこの過程を完成させたのだと思います。徳川家は天下を統一したけれど、王や皇帝ではなく最強の大名、最大の地主であるに過ぎなかった。京都の皇室も潰さなかった。士農工商は建前で、むしろ諸身分の棲み分けの原則だった。だから武士が身分の掟に最もきつく縛られ、身分が低い職人や商人はのうのうと暮らしていた」


「この身分の棲み分けと言う点では私が最も関心があるのが惣村(そうそん)の時期です。武士は年貢をふんだくるだけで行政サービスなどやらないから、村の農民はインフラの整備など全て自力でやるしかなかった。だがそのおかげで惣村の自治が生まれ発展した」

「日本のもう一つの特徴は、地域の多様性でした。本居宣長が漢心(からごころ)を排し、古代日本の惟神(かんながら)の道を称揚する人間になったのも、おそらく若い時に医者になるために京都に留学したためでしょう。当時の京都にはまだ古代日本が息づいていましたから、宣長は古代の世界をある程度実感できたのではないか。そして武家の江戸は町人の大阪の米市場で持っていました。だから江戸時代は正確には江戸・大阪時代と呼ぶべきでしょう。当時の大阪は世界有数の商業都市でした。しかもヨーロッパでは商業は禁欲的なプロテスタンティズムに結びついたのに、大阪では近松や西鶴のエロス的文化を見出した」


「鎖国は、幕府が16世紀以来のヨーロッパ人の海洋支配と国際商業、それに伴う植民地主義の脅威を的確に認識して講じた対抗策、防衛策でした。幕府はまたキリスト教が植民地主義の尖兵となる危険も正しく認識していました。幕府は17世紀の時点で、すでにグローバリズムの脅威を直感的に感知していたと言えそうです。明治維新は欧米の植民地主義の脅威に対処するためのものだったと言う人たちがいます。これはまったくの間違いです。そして植民地主義の脅威と言うなら、17世紀の徳川幕府こそが、それに対処するための適切で効果的な政策を確立したのです」


「第二に、鎖国の評価で重要な事は、当時の日本には鎖国しても経済がその後の発展し続けるような蓄積と実力があったことです。江戸時代を通して、鎖国はむしろ内国経済の発展の条件になりましたこの時期に全国の商業のネットワークが整備拡充されて地域経済が発展今に伝わる各地の特産品が生まれました。幕藩体制下の日本は、ウェストファリア条約後のヨーロッパに似た複数国家並列体制といえます。そして複数の国家は菱垣廻船(ひがきかいせん)のような沿岸海運によって結びついていました。つまり鎖国した日本は、ミニチュア版の国際社会だったのです。天下太平の江戸時代に、日本の経済、社会、文化は飛躍的な発展を遂げました。鎖国は、分権と多様性を特徴とする日本の社会には、むしろプラスの効果持つことになりました」


「日本が開国があれよあれよと言う間に植民地化されるどころか、欧米列強の覇権を脅かすような国になったのは、その是非は別として、基本的に徳川幕府の功績です。私がこのように徳川幕府の明敏さ、外交センスの良さを強調するのも、これは、国際情勢や地政学に無知なまま朝鮮半島に手を出して日本帝国破滅の種をまいた明治政府の愚かさとは対照的だからです」

未来の日本、そして日本の世界への貢献の道を考え、行動していくときに、明治クーデターによって歪んだ日本の歴史の見方をゼロにして、日本史の再考を、客観的に、公正に行う必要性を強く感じます。戦後教育を受けた僕たちは、この明治ー昭和という特異で突発的な流れである上からの西洋化による支配という肌に合わない流れを自覚し、洗い流す禊(みそぎ)の必要があるなと感じる。

安倍政権が、アメリカによる戦後教育の呪縛をとき、押し付け憲法を改正し、自主憲法を作るという主張のうそをしっかりと見破る必要がある。彼の爺さんや先祖たちが始めた明治、昭和という日本に対するクーデターの暴力、権力をしっかりと認識する必要がある。彼らのいう「美しい日本」とは彼らにとって「都合のよい日本」でしかない。美しい日本はぼくたちが取り戻し、再建すべき未来の伝統だよ。

関曠野「日本史を再考するⅠ」(『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』所収)

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