なごやトリエンナーレ地裁公演の話

中の人の一が当該となったなごやトリエンナーレの地裁公演は訴訟費用の負担がどうなるかという話が一応残ってはいるが、2680年1月7日の判決を受け控訴しなかったことで千秋楽を迎えた。あまり間を開けても忘却が始まるのでここ辺りで公演の裏話的なことをまとめておく。

開演に向けての準備

そもそも2679年8月23日、検察との取引を受入れ地裁公演を一度は断念したことは「結束紙」で報道された通り単なる日和だった。演出的には検事の甘言を退け、そのまま起訴という流れの方が見栄えがよかったことは明らかである。しかしながらすでに17日ほど業務をほったからしている上にさらにこれが続くとなると流石に厳しいという労働者特有の問題があり、もしこれを避けるには数百万円もの保釈金を用意する必要があるという現実がある。これら困難を越えてまで意義のある公演ができる自信もなく、救援会をはじめとしてこれまで救援を続けてきてくれた方々への負担がこれ以上嵩むことも避けたかったので、ひとまず出ることにしたわけである。

獄中通信20

↑事実上の敗北宣言を報じる結束紙(2679.8.22)

外に出てからも裁判公演の可能性は検討された。裁判にすれば調書を読むことができ、うやむやになっている諸々の事項を明らかにすることができるというメリットこそあるが、蒸し返すロジックが中々なかった。今まで声明では散々無罪ではないことを主張してきており、事件の事実内容自体は認めているので争点がないのである。一般に公演は箱側と演者が上手く折合わないと実現しないものだが、裁判公演に限っては箱側と演者が具体的にもめていないと開演すらしないのである。そんなわけで2679年9月5日、正式裁判の請求をした時も、ひとまづ簡易裁判所から地方裁判所に移送されることが目標とされた。そして同年9月24日、地裁への移送がまさかの決定となった。

『結束』No.21_page-0003

↑正式裁判の申立を報じる結束紙(2679.9.5)

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↑地裁移送を報じる結束紙(2679.9.26)

ここでは誤算が2つあった。まず国選弁護人が変わらないということ。留置中に国選の先生には大変世話になったので、目標設定の困難さから当初は罰金20万円を19万8000円に値引かせることでお得感を出すという勝利目標案さえあったこのふざけた公演に付合わせることになってしまったということには申しわけなさがあった。そしてもう1つは捜査検事と公判検事が別の人だったということである。地裁公演に向け留置中に調書を作成した冨谷検事と再び法廷で対決、と云ったビラを作ったのだが、冨谷検事まさかの降板という形となってしまった。

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↑地裁公演ビラ第一弾

当初は情状面を訴え罰金額を減らすということで裁判を起こす形を整える方向だったのだが、国選の先生との公演打合わせが続くうち「事件の内容は認めており無罪を主張する気はないが、公務執行妨害の成立については疑問がある」という微妙なニュアンスを徐々に共有することができ、最終的に公務執行妨害罪の成立を争うというごく真っ当な裁判の体裁を取る方針が決定された。

初回公演

2679年11月19日、なごやトリエンナーレ地裁公演が開演された。事前情報ではこの日のみで結審し、日を改めて判決との予定だったのだが、急遽検察側が証人を申請したことでこの日は人定と公訴内容を認めるかどうかの質問のみとなった。ここでは当初「超芸術」についてのフリートークを長々とする予定で原稿を組んでいたのだが、起訴内容を認めるか否か以外のことを答える枠ではないので制止される可能性があるという国選の先生からの助言を受け大幅に端折ることとなった。内容は大まかにいえば、傍聴席へのなごやトリエンナーレへお越し頂いたことへの謝辞から始まり、超芸術的でない公訴内容へのダメ出し、具体的にいうならば「撒いたものは液体という物質の集合状態を示すに過ぎない概念ではなくH2Oの化学式で表される水である」ということ並びにこれが床に撒かれた程度では警察への暴行脅迫には当たらないというものである。

また、人定では今までの流れを継承して名前以外は当然黙秘。興味深いことに裁判長による黙秘権の告知は人定後に行われた。フリートークの際にその辺りの順番に突っ込みを入れようかとも思ったくらいには引掛ったところなのだが、後で国選の先生に聞いたところ裁判所は人定の際の黙秘権は認めておらず、あの順番が普通だということのようである。

第2回公演

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↑地裁公演#2ビラ乙号

2679年12月24日、この日はまず検察側の証人が登場。検察と国選の先生が順番に質問を行う。証人の刑事の証言からは被告人の行為の凶悪性はあまり感じられず、検察側に有利な証言を引出すどころかどちらかといえば被告人有利に働きそうな内容にも感じられた。続いて被告人が国選の先生、検察の順に質問を受ける。国選の先生からの質問には真面目に答えるのだが、検察のターンになってからが本番である。まずは検察の質問を遮り傍聴席へいつもの挨拶がなされた時、検事の顔には早速苛立ちの様子が見られた。

検察側とはセリフ合わせの機会が当然ないので、どのような内容になるかは事前にはわからない。しかしながらバケツの水を撒いた理由くらいは流石に聞かれるので「太陽が眩しかったから」という異邦人の一節を引用することが可能となった。これは突発的に起きたことの原因を真剣に突詰め答えたムルソーに対して、司法試験に通った検察のような"頭のいい"人間は不条理な人間だと思うに違いないという嫌味が込められており、案の定検事は激怒した。検事は「調書と言っていることが違う」とわめくが、調書には時制がないことを都合よく無視している。「水を撒いた時近くに警官がいたと思うか。」と聞かれれば、質問を受ける只中において、状況を総合的に考えれば「いたと思う。」と答えるは至極当然である。そしてこの推察が、実際に現場で水が撒かれるというアクシデントともいえる突発的事態に際しての状況把握とは異なることは言うまでもない。完全黙秘した方がいいという一般的な助言は、このように時制を無視した都合の良い調書引用などが起こることからも有用であることがわかる。

千秋楽

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↑地裁公演#3(千秋楽)ビラ

年は変わり2680年1月7日、裁判長のゲリラ的即日判決という妙手により結果的に千秋楽となった。この日はまずは論告求刑から始まる。これは要約するならば「警察は水が撒かれた時に恐怖を感じ、公󠄁務が継続できない程の軟弱組織であり、一方で被告人は突発的な状況であるにも関わらず意図的に警官の公務を妨害する企てを瞬時に思いつき、またそれを実行することが可能な切れ者である。」といったものであった。弁論ではありがたいことに被告人無罪が主張され、最後の被告人フリートークへと移る。

内容には既存の反芸術への宣戦布告、すなわち「表現行為は無罪ではない」という主張をねじ込む。にも関わらずなぜ無罪を主張するか、そこで「皇国の治安を預かる日本警察は、バケツの水が撒かれてたまたま跳ねた水がかかった程度のことで公妨を主張するような軟弱組織であるはずがない。」というロジックにつながる。一方で表現行為は有罪であるから、やったことに対しては反省をしなければならない。しかしながらたまたま現場となって水浸しになってしまった愛知芸術文化センターのエレベーターに対してはまだしも、上記のような"ささいなこと"で人を17日間も拘束するような悪の組織の構成員に謝罪の意を示すことは難しい。それゆえ本邦における公共心の源である「天皇」が、そこではじめて言及されるのである。法廷で共に聖寿万歳を三唱した同志に退廷を命じた裁判長は単に不敬であるのみならず、我々の公共心をも否定したのである。

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↑地裁公演#3(千秋楽)フリートークで用いられた原稿(ママ)
を画像化したもの

なごやトリエンナーレ地裁公演
主演裁判長:神田大助
助演検事:清水博之・堀田正守
助演被告人:室伏良平
後援:愛知県警東警察署・名古屋地方検察庁・名古屋簡易裁判所・名古屋地方裁判所

参考報道
略式命令
https://www.sankei.com/affairs/news/190823/afr1908230036-n1.html
判決
https://www.sankei.com/affairs/news/200107/afr2001070018-n1.html


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