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10年前の向こう側の窓から見た景色。

コクピットの椅子に座って、たまに思う。よくここまで来られたな、と。

まだまだエアラインパイロットとしては駆け出しで、日々のオペレーションをこなすのに必死なので、あまり感傷が入り込む余地はないのだが、ふとした瞬間、たとえばその日の最後の便を終えて飛行機の外部点検をしている時や、キャプテンとフライトアテンダントが昼食を買いに出て行き、誰もいない飛行機の中で一人になった時などにふと思う。

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約10年前に国内航空会社のパイロット自社養成試験全てに落ちたことが、全ての始まりだった。その後、27歳で会社を辞め、自費で海外に渡り、訓練に明け暮れ、教官となった。そのステップそれぞれに紆余曲折があり、何度も自信を失い、「望んでも、届かない」と言う経験を特に、教官時代にたくさんした。それでもなんとかエアラインキャリアをつかもうと命を削ってきた。

たまに、信じられなくなる。俺は本当にこの席に座っているんだと言うことに、リアリティがなくなることがある。

でも、コクピットの椅子の肘掛の肌触りや、夕焼けを映した翼を休めている飛行機に触れられることが、確かなリアリティを直ちに呼び戻してくれる。お前は、よくやった、そこにいていい、と言われているような感覚になり、自分の中に小さいが強烈な達成感が根を張っているのがわかる。

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私は昔、パイロットの訓練日記を兼ねたブログをやっていて、今でもたまに見返すのだが、当時の自分、エアラインのエの字も知らない自分が、割と鋭いことを書いていて、驚くことがある。たとえば以下のような

まるで博物館の展示品をひとつひとつ眺めているような風情で、D1900のノーズギアやピトー管を見つめている人物がいた。

パイロットだ。

非常にゆっくりと、「だらだら」した印象を受けた。本番でだらだらできるのは、プランがいいからだ。実際、イーグルは私が離陸した直後、おそらく定刻に離陸して、フルパワーで3000あたりをあえぎながら昇っている私のトマホークを一瞬で抜き去り「5500FTを上昇中だよ♪」という無線とともに北東のどこかへ消えていった。ちゃんと結果を出している。笑

ああいう風になろう。

これは、初期訓練の小型機に乗って、ニュージーランドの地方空港を訪れた時のものだ。そこでたまたま目撃したエアラインパイロットの飛行前の機外点検の様子を書いたものだが、何を隠そう、10年経って私が同じ場所で同じようにライン機(機種は違う)の機外点検をしているのだ。

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昔小さな飛行機で離着陸をし、その後教官として飽きるほど飛んできた飛行場で、あの時「向こう側」にいたパイロットと同じように、大きくなった自分の飛行機の周りをゆっくりと歩く。あの時の自分が今の自分を見ても、「ああ言う風になろう」と言ってもらえるように、ゆっくりと、注意して飛行機を見て回るのだ。

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こんなのもあった。風が強い日にボーイング737が着陸してくるのを見て、

着陸を習うまでは気づかなかったが、彼らも我々のチェロキーと同じように接地寸前に一瞬、水平飛行をしている。 GUSTに揺さぶられながらも、失速しないように注意深く速度を殺し、エネルギーを減らし、そっと足をつけている。

はぁ、おんなじことしてんだ、ちゃんとつながってんだなー。

飛行機は、難しい。今は、あんなでっかくて速いやつを飛ばせる気になんかこれっぽっちもせぬ。でもいつかあそこの窓から、こっち側を見る日が来るのかな。そのときはどんな気持ちでこの文章を読むのかな。

その時はきっと、こんな景色の中で、達成感を噛み締めているよ、と。


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有料パートでは、訓練時代にアップロードした限定公開の動画を貼りました。スピンと呼ばれる飛行機が錐揉み状に落下していくのを制御する訓練で、教官になるための訓練をしている時のものです。機内の音声とその字幕付き。

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