第一回「薩摩のやっせんぼ」 運命の人が主君だった祭り!

はじめに

大河ドラマって非常に重層的・複合的なコンテンツでして、歴史の中でも外交史や政治史、風俗史、地理、さらに文化人類学的な知識、過去大河へのオマージュと現代日本の問題などが盛り込まれています。

つまり楽しむのにちょっと訓練が必要だったりする。

もちろん、自分が見えるストーリーや好きな役者さんを追いかける見方でもいいんですが、楽しみ方を知ってしまうとどんどん深掘りできて一層楽しいコンテンツになります。

こちらのレビューではその辺をお知らせして、大河ドラマを1年、一緒に楽しんで行けるといいな、と思います。どうぞよろしくお願いします。

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さて、物語は明治31年12月18日、上野公園の除幕式での、西郷隆盛の最後の妻・糸の有名なエピソードから始まります。

「銅像の顔は夫に全く似ていない」

これは有名な史実でして、あの有名な銅像は西郷隆盛の弟と従兄弟の顔をモンタージュして作られたもの(と言われています。実際は別モデルがいたらしい)。

では、妻・糸にとって、西郷隆盛とはどのような男だったのか。という謎かけから物語は始まります…

幕末の薩摩藩

という訳で、大河序盤の伝統・子役劇と現地ロケの第一回です。

初回といえば、主人公が育った基本的な環境と人間関係を、今後を見据えて視聴者にがっつり見せる回で、子役劇があまり好きではない私にはだいたい毎年ちょっと苦役なのですが、今回は珍しく楽しい回でした🎵

西郷隆盛が育った九州の南端、今でいう鹿児島県であるところの薩摩藩。

鎌倉以来の名門・島津家が納めるその藩は、勇猛果敢な雄藩として幕府からも周囲からも大変恐れられていました。

もうちょっと言うと、古代の同地に住んでいた隼人族と言うのはおそらく独立した異民族でした。

海の民としての彼らの勇猛さは、長い時間をかけて日本人として同化した後も独特の風俗を残しており、まあつまり腕っ節を鍛えることと勇敢であることに大きくステータスを振る価値観が根強かった。

それが武士という職業軍人制度とマッチングした結果、ちょっと現代では描写できない残酷さと無謀さを誇る蛮族が出来上がったんですが、さらに恐ろしいことに豊臣秀吉の九州攻め、そして関ヶ原の合戦で敗者となった彼らは外交と政治と経済の大切さを知ってしまうんですよ。

こうしてこの地域は幕末には智勇に優れた人材を多数輩出し、明治維新を牽引することになります。

今回はその人材たちの子供時代なんですが、まあこういう下地があるドラマですから、決して子役が可愛いだけの劇ではありませんでした。そこがよかった。

ドラマでは郷中組と呼ばれる薩摩独自の教育組織を通して、当時の島津藩の空気、身分差や経済格差をあらわにした非常に厳しく、生々しい世界が描かれます。

今回は関ヶ原の合戦における有名な「島津の引き口」をリスペクトした「妙円寺詣り」というイベントで起きた事件がメインイベントになります。

きらきらしい大鎧をつけた良家のボンボンが、足軽風の当世具足をつけた小吉(西郷隆盛の幼名)に「優勝するのは俺たちだ。貧乏人は下がってろ」と脳筋主義少年ジャンプ的に喧嘩を売り、それに対して小吉もまた頭を下げながらギラギラと嫌味で応酬する。

この妙円寺詣りのシーンには妙な既視感があってですね、ハリー・ポッターシリーズにおける、グリフィンドールとスリザリンの諍いを思い出させてですね、子供の世界の独特の過酷さ・残酷さがすごくいよかった。

勇敢であること、誇り高いこと、そこに身分差と競争を持ち込むと、洋の東西を問わず子供時代はああなるんだなあ…と感慨に耽りつつ、ハッフルパフ的な価値観が多様性の許容に置いていかに重要な存在であるかを再認識していましたね。はい。

男と女

さらに、この妙円寺詣りでは「男女差別」も描かれます。

このお詣りは、20kmを甲冑をつけて走破するという勇壮かつ過酷な強行遠足なんですけども、小吉たちと同じ下加冶屋町にすむ女の子・糸ちゃんが、男装して参加し、彼女の活躍で小吉くんたちの郷が優勝してしまいます。

糸ちゃんは活躍してしまったがために女性であることを晒され、満座の中で「女が何をしているのか」と辱められる。

このあたりの描写はツイッター上でも賛否両論というか、否定的意見の方が多かった。確かにちょっと甘いなーと私も思いました(なぜ糸ちゃんの親が妙円寺詣りに娘を出したのか、親が許していないのに糸ちゃんが参加できたのはなぜか、とかね)。

身分差別、男女差別というのは、貧しさ由来の「選択と集中」の結果です。十分な豊かさがなかったから、リソースを一部に集中せざるを得なかった。その対象が男性であった。

(しかし一面では、男性は祭り上げられた消費対象であり、本質的には男性差別であった)

社会とマッチしすぎたシステムは必ず末期に劣化しますから、幕末・明治維新というものを描くとき、この差別問題は避けて通れません。

とは言え、当時当たり前に行われていた「男女の別」をそのまんま描かれても、受け取る現代人はかなりしんどいことになるでしょう。

ですからこのエピソードの入れ方とか表現の仕方は、この時点では十分工夫されたものだったと思います。少なくとも私はこのエピを持って、西郷どんはダメそう、とは思わない。

ただこのエピを入れた意味ですね、これが、西郷隆盛のモテ要因の一つに「共感性」を据えるためだけだったりしたらちょっと心配ですけれど、人の気持ちがわかる、理解しようと務める姿勢というのは、リーダーとして欠かせない才覚だと思いますので、モテ要因でもあり、そっち方面の補強エピソードでもあることを信じたいと思います。

むしろ問題は、史実ではまだ生まれてない糸さん(西郷隆盛の15歳年下)が登場しちゃったことである気がします。味噌汁案件にはくれぐれも気をつけて欲しい。いやマジで。

弱者への転落

ところで、妙円寺詣りで糸ちゃんが下加治屋町が優勝してしまった件は後を引きます。祭りの前に小吉に喧嘩を売り、そしてお参り競争で負けたボンボンが、遺恨のあまり、モノホンの槍を持って襲撃してくると言う形で。なんという蛮族か…!

薩摩ルールでは鞘から刃を抜いての喧嘩は死罪なので、ボンボンも抜刀はしないんですが、喧嘩の最中に鞘が割れ、小吉は腕に怪我を負い、昔のことですから深手となって寝込んでしまいます。

腕の傷は障害として残り、そのために小吉は刀を振るえなくなってしまいます。

体格に恵まれ、腕っ節も強いという、薩摩という社会の価値観に適応していた小吉にとって、これは大変な挫折でした。

一瞬で「刀を振るえない侍」という社会弱者に転落してしまった小吉は、自分の存在意義を失って苦しみます。何らかの形で己の存在意義に苦しむのは主役としては定番展開ですが、これを小吉役の渡辺蒼くんでやったのがよかった。とっても繊細で、健気さがあり、切実なシーンになりました。

私がなんで子役劇を好まないかというと、子供の可愛らしい仕草や表情を見て愛でる、という趣味があんまりないからなんですけど、いえ私だって人並みに和んだりはしますが、45分もそれを見ていられないというか、なんかこう、大人視線の子供への押し付け、とメタ思考に陥るんですね。

今回も大人目線を若干感じましたけれど、子役に挫折と再生という難しいテーマを俳優としてシリアスに演じさせ、質的に大人のドラマと遜色ないものに仕上げてきたのは見応えがありましたねー!いやーよかった。

過酷さ・残酷さと共に健気さと希望という描写に、制作班の真摯な作劇を感じました。私はそこに期待を寄せるものであります…。

渡辺謙の圧倒的存在感

障害を負った小吉は、この固定された身分社会で自分が生きていくことができるのか、自分がいきていく意味とは何か、という恐ろしいほどの存在不安に陥ります。

小吉は自死すら意識するくらい追い詰められるんですけど、それを救うのが我らが世界のケン・ワタナベです。いやこの第一回西郷どんは完全に謙さんが正しく使われいる好例となりました。

序盤、小吉たちが島津家の別邸に忍び込む→いくら子供でも死罪では…ギャグにしていいのか?すごくかわいい演出だったけど…(モヤモヤ)→謙さんかっこいい。

中盤、糸ちゃんが女の子とバレて晒しあげられる→これも十分にひどいけど当時はさらにこんなもんじゃないはず。でもここで男女差別問題出すか…(モヤモヤ)→謙さんかっこいい。

終盤、「侍の時代は終わる。腕力じゃないところで強くなれ」→え、この時点でそれは未来見えすぎじゃ…(モヤモヤ)→謙さん!!!

小吉くんは世子の君の言葉に希望を抱き、立ち上がるのでした。

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謙さんの島津斉彬だからまあいっか。

と納得せざるを得ない!!

まだ初回だからエピソードづくりが微妙になるという構造的弱点を補う見事な渡辺謙の存在感の活かし方で、むしろこういう豪腕は積極的に評価したいと思います。

いやでも本気でね、この主人公の運命を変えていくのが優れた主君(上司)っていうのがね、いいんですね

優れた年長の同性がロールモデルになるっていうの、割と普遍的なものだと思うんですが、ロマンチックラブ礼讃と上流批判が一般的な現代では、実はなかなか見られないんですよ。上司は大抵嫌な奴です。
これがドラマの主題になれず、サブに流れていくの、実は本当に残念に思っていましたので、久々に上司に男ぼれするテーマを見せていただき、大変満足しました。

ところで序盤に小吉たちが島津家の別邸である仙厳園の敷地にお菓子を盗みに忍び込み、斉彬と出会うシーンがありま下が、ここで武器開発などを色々やっていたというのは時期的にはともかく史実であるのですね。すんごい。

疾走感と細部へのこだわり

というわけで、初回は大変楽しい謙さん充子役充でした。あ、映像も美しかった。

セットがいい感じに古びてるのと、人物の着物のくたっとした感じ、脂染み、汚れ、埃っぽさと、明るい光と水と緑の柔らかくて鮮やかなコントラスト。

そしてそこにいる子供達の目がキラキラしててね、もうね。

でも凝った映像に対して、主人公まわりと島津斉彬公の紹介に終始し、多くを盛り込まなかった。それが初回という掴みに、逆に効いていたと思います。

とはいえ、親バカ満載で品がないルミ子由羅の方が、美しい伝統的な衣装を久光に見立てていると思われる箇所や、またカリスマが全くないけど可愛げはある感じの青木久光の描写など、細部へのこだわりもすでにあり、今の所とても良い感じ。

意外とこの制作班は「引き算」のドラマを作ってくる侮れないタイプかもしれないなーと思いつつ、今後も厳しく見ていきたいと思います。よろしくお願いします^^


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