渋谷での出来事

 午後四時。東京・渋谷・ハチ公前。

 通勤ラッシュの時間帯でもないのに、駅周辺は人であふれていた。
 人が狭い通路を、それぞれが右寄り、左寄り自由勝手に進んでいたが、ぶつかりそうになっても身をかわし、器用に避けている。ぶつからないよう、すれ違うことに慣れているのだろうか。

 さて、どこから探そうか。

 時間は無限にあると言ってもいいが、先輩がいる確証もなければ、この町に『答え』があるかどうかすらわからない。。

 ヒントはまるでなし。しかも、対象物は常に動いていると考えていい。
周りを見渡しても人、人、人だらけ。

 スーツを着たサラリーマン風の男性や、献血の看板を持っているおにいちゃん。ハチ公を目印にして待ち合わせをしているカップル。
 巣鴨と間違えて来ちゃったようなおじいちゃん、おばあちゃん。

 ……あれ?

 人の波に酔いそう空気の中、なつかしい気配を感じて、そちらを向くと、一見、どこにでもいるような女子高生の後ろ姿を見えた。

「先輩!」

 一瞬、人違いだという考えが頭をよぎった。だが、夕日を見る先輩の雅やかな後ろ姿に惚れたのだ。見間違えるはずがない。
 叫ぶと、周りの通行人が全員、なにごとだという顔で太一を見た。

「…………」

 里奈も太一を一瞬見た。目があったが、先輩はまるで太一を知らないかのように、再び歩き出した。

「なんで無視するんですか! 探していたんですよ!」

 腕を掴むと、ようやく顔をこちらへむけてくれた。

「……やはり、最初に気づいたのは君だったか」
「どこに行っていたんですか? 皆、心配してますよ」
「問題ない。同じ時間が永久に続くこの世界では、私はいてもいなくても同じだ」

 この人は、本当に里奈なのだろうか。学校の屋上で朗らかに話しをしてくれた里奈の表情はどこにもない。あるのは、冷たい視線と取り付く島もないほど端的な口調だけだ。

 しかし、繰り返される“今日”について何か知っているようなのは確かだ。

「場所をかえよう」

 太一がいろいろと悩んでいると、里奈がそう言って歩き出した。

 やはり、この現象は彼女が関係しているのだろうか。
 不思議に思いながら、どことなく田中里奈とは少し違う少女の後をついていく。

 二人は信号を渡り、ウインドブレーカーを羽織ったティッシュ配りの女性たちのわきを通りぬけて、人気の少ない公園に出た。

「さて、話をする前にこれだけは伝えておこう。君は信じたくはないと思うが……」

 里奈がそう前置きをする。
 そう。彼女が告げたことはとても重要で、とてもにわかには受け入れられない衝撃的な内容だった。

「……君が知っている田中里奈は死んだ」
「え?」
「今この身体にいる『私』は、『田中里奈』という人格が消えた肉体に入っている、別人だと思って欲しい」

 何を言っているのだろう。
 里奈先輩が死んだ? 目の前にいるのは別人?
 太一が理解できないという表情をしていることはわかるのか、里奈の顔をした<<何か>>はゆっくりと、小さい子供に教えるように、語りだした。

「我々は人から人へ感染することで増殖を繰り返す、病原体と言っていい」
「……<<空想病>>」
「その通り」
「先輩にとり憑いて殺したのか!」
「感情的にならないでほしい。説明できない」

 感情のない人形のように、無表情のまま話を続ける。

「本来ならば君の元に姿を現すことも、こうして説明をする必要も義務もないのだが、君は里奈が消える前に、一番気をかけていた人物だからな。少しだけ教えてあげようと思っただけだ」

 すべてを見通すような視線で、太一をじっとみつめる。
 人間が人間を見る目つきでないことに気づき、身体を奮わせた。

「こ、この世界はなんなんだ!お前がやったのか?」
「いや、私はこの身体を手に入れた時点で私の役目は終わりだ。成熟期に入ってすぐ、宿主が触れた者にウイルスも撒き終えたしな」
「ウイルスだと!」
「そうだ。私の子供を宿している者が、この世界を創りだしたのだ。私がここにいられるのも、私の遺伝子を持っているからだ」

 里奈が大きく頷いた。

「君達からすれば、命を脅かす寄生虫のように思われるかもしれないな。人間を中心に、あらゆる生命体の体内に入り込み、ある一定条件で宿主の身体をのっとる」
「本当に、殺したのか……」
「殺したというのは語弊があるな。要は譲ってもらったのだ。取引によって」
「取引だと?」

 自分のこの感情をなんと表現したらいいだろう。太一は怒りと戸惑いと恐怖と哀しみが入り混じった表情で問いかけた。

「彼女に限らず、我々が発病するのは、皆、心に孤独という闇を抱えている者だ。我々は宿主の願いを叶え、その報酬によって肉体を媒体とし、繁殖しているのだ」
「……先輩は、どんな願いだったんだ?」
「彼女は何かを欲したり、改善したいという気持ちはなく、ただ、この世界から消えたかったようだ」

 その一言が、太一の心にずしりと重くのしかかった。
 まさか、里奈がそんなことを考えるほどこの世界を絶望していたとは。
気づいてあげられなかった。もっと早くに告白をしていれば……消えたいと思わず、発病もしなかったかもしれない。

「誰かと深い繋がりを得ることができず、誰かも必要とされていない恐怖は、我々にはわからない。だが、彼女はそれを恐れていた。彼女の頭の中には、虚無の未来しかなかった。成績がよくても自分に自信がもてず、他人に相談できず、早く過ぎる時の流れに、焦りだけが無常に過ぎていった。毎日、悪夢に苛まれ、孤独に耐えられなくなっていった。だから、我々を呼んだのだ。彼女が」
「そんな……」
「そんな折、君から告白され、本当に嬉しかった。その気持ちは私にも届くほどだった。だが、その時には手遅れだったんだ。君が怒る気持ちはわかる。だが、我々はこういう生き方しかできないのだ。果たして、君達と同じ“命”と呼べるかわからないが、それでも生きているのだ。この夢幻の中で」

 太一は里奈の顔で、懺悔のようなものを聞かされるのが耐えられなくなり、がっくりと肩をおとし、地面に膝をついた。

「……この世界は、君にもっとも近い人物が形成している」

 『彼女』は太一の気持ちを察したのか、話題をかえた。

「君はこの世界で唯一の<<特異点>>だ。この世界から抜け出すも、留まるも君の選択次第だ。抜け出したければ思い出すがいい。君が自分の身に起きたことを。“今日”じゃない。“今日”が繰り返されるのは、その人物にとって、明日がきてほしくない理由があるからだ。明日になれば、君が消えてしまうと思っているからだ。永遠の別れとなるという恐怖から、精神が現実を離れて、この世界を創ったのだ。未来永劫、ずっと変わらずに楽しい毎日をおくれるという世界をな」
「どういうことだ?」
「それは、君が思い出せばわかることだよ。思い出せば、この世界から抜ける扉が開く。そうすれば、おそらく病人も死なないはずだ」
「……いいのか?僕にそんなこと言って。<<空想病>>にかかった人は死ぬんだろ?」
「なんでだろうね。礼なら里奈(彼女)に言ってくれたまえ。君が悲しむのはもう見たくないそうだよ」

 里奈の感情が完全に消えたわけではないのだろうか。彼女はわずかに微笑んだ。

「さて、話しは終わりだ」

 一方的に話を切り上げると、恐ろしい速度で彼女は太一の頭に右手を伸ばす。
 反応できなかった。速さだけではない。感情も読み取れず、なされるがままといった感じだった。
 その指先が、額をつくでもなく、頭を掴むでもなく、外殻をすり抜け、脳に直接触れる。

「なっ」

 違和感はあったが、痛みは無い。

「サービスだ。現実の君とは繋がっていないが、記憶を呼び起こす手伝いをしてあげよう」

 そう言った瞬間、太一の意識は呆気なく吹き飛んだ。

「これでーー君とはもう二度と会うこともないだろう。こういう時には君たちはなんと言うんだったかな?そうだ。さよならだ」

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