古典落語・芝浜

「芝浜の貧乏長屋に住む魚屋の三郎。腕はいいし人間も悪くないが、大酒のみで怠け者。金が入ると片っ端から質入れしてのんでしまい、年中裏店住まいで店賃(たなちん)もずっと滞っているありさまでございます」
 落語ツアーに参加することになった梓と風音が、旅館につくなり、いきなり始まった左近の口上を聞かされていた。
 十数人の落語家の新人たちが持ちネタを披露する懇親会らしい。
 後で、梓も演じてくれと頼まれてしまった。旅費を全額負担してもらってる立場からは断れなかった。

「今年も師走で、年越しも近いというのに、三郎は、相変わらず仕事をほったらかしで、酒を呑んで寝てばかり。女房もさすがに亭主に泣きつきます」

『あんた、このままじゃ年も越せないから仕事してくれませんか? 後生です』
『ん~……。仕事したくても、道具がねぇから無理だ』
『なに言ってるんですか。道具はちゃんと用意してますから、さっさと仕事に行ってくださいな』

「女房の言葉どおり、盤台もちゃんと糸底に水が張ってあるし、包丁もよく研いであったので、さすがの三郎もしぶしぶ天秤棒を担ぎ、追い出されるように出かけました。しかし、外に出てみると、まだ夜は明けていない」

『カカアの奴、時間を間違えて早く起こしゃあがったらしい、今帰っても二度手間だ。仕方ねぇな』

「そう思い、海岸でぼんやりとたばこをふかし、暗い沖合いを眺めているうち、だんだん夜が明けてきた。顔を洗おうと波打ち際に近づくと、何かを見つけました」

『ん? なんだ? おおっ! これは、財布じゃねぇか!』

「中身を見てみると、財布には小判が入ってるではありませんか。これを見た三郎は『これで当分は遊んで暮らせる』と顔色を変えて、急いで家に帰りました。

『あれ、あんた、もう帰って来たのかい? 仕事はどうしたの』
『どうしたもこうしたもあるか!』

「そう言いながら、誰かが後ろから追ってきてないか、三郎は玄関から顔をだして左右をみて、安全だと思うと、懐から財布を女房の目の前に叩きつけます」

『こ、これはどうしたんだい? ひいふう、みい……四十両もあるじゃないの! まさか、仕事したくないからといって強盗でもしたんじゃ……』
『ええい! お前は俺の事をそんな風に見てたのか! これは芝浜を歩いていたら、海の中に落ちてたんだ! 人を襲うなんて、誰がそんな恐いことをするかい!』

「ネコババも決して自慢できることではないのですが、そこは棚上げした三郎。その金で酒を買ってこいと、言うと女房は、これ以上三郎が騒ぐと長屋の住人が覗きにきてしまうと思い、しぶしぶと従います。そんな女房の気持ちをよそに、三郎はその夜は夜通しで酒をしこたま呑んで寝てしまいました」

『ーーちょいと、ちょいとおまえさん』
『あー……なんだ?』
『いつまで寝てるんだい? もう、お天道様はのぼっちまったよ? 今日こそは商いに行くって約束したじゃないか』
『あぁ? 四十両も拾ったのに、商いなんて行ってられるか』

「いい気持ちで寝ていたところを、女房が起こされ、不機嫌な三郎。しかし、それを聞いた女房は三郎を睨み、怒りだしました」

『どこにそんなお金があるんだい? ははぁ、おまえさん、仕事をしたくないもんだから夢でお金を拾う夢を見たんだね』
『な、なんだと?』

「女房が言うには、昨夜にずっと酒を呑んでいて、急に寝たと思ったら、なにやら喜ぶ寝言を叫んだと言うのです。言われてみれば、ここ数日はずっと呑んだくれていたので、自分でも自信が無くなってきました」

『それじゃ、なにかい? 俺が酒を呑んだのは現実で、金を拾ったのは夢だってのか?』
『そうだよ。疑うなら、家中探してごらんよ。四十両という大金なら、すぐ見つかるでしょうよ』
『…………』

「女房に言われて、三郎、戸棚の中など探してみますが、小判の一枚も出てきませんでした。しばらく探した三郎、さすがに自分が情けなくなり、『今日から酒はきっぱりやめて仕事に精を出す』と、女房に誓うのでした。そして三年後……」

『あー。今年はやっと借金のない年を迎えられるな』
『お仕事、ご苦労さまでした』
『そう、かしこまるなって。夫婦じゃねえか』
『……おまえさん、これを見てくださいな』
『なんだい、なんだい』

「三郎は、妙に緊張した面持ちの女房に笑って答えると、女房が出してきたのは夢の中で拾った財布でした」

『実は、おまえさんがこの財布を拾った時、酒を買って来いって言ったじゃない? あの時、おまえさんが酔っぱらって寝た後で、大家さんに相談しにいったのさ』

「当時、拾ったお金を使ったり、ネコババしようものなら、犯罪として逮捕されました。ましてや四十両などという大金を使い切ろうものなら、死罪もまぬがれませんでした」

『だから、これは奉行所に届け、あの時のお酒の代金は大家さんから借りたのさ』
『……拾ったのは夢にしろって大家さんから言われたのか?』
『そうだよ。このお金は落とし主不明ということでお奉行様から先日、届けて頂いたものです』

「そうとも知らず、おまえさんが好きな酒もやめて懸命に働くのを見るにつけ、辛くて申し訳なくて、陰で手を合わせていたと泣く女房」
 左近が、女房を真似て、泣くしぐさがなんとも女性らしい。思わず梓はぞわっと鳥肌がたった。

『とんでもねえ。おめえが夢にしてくれなかったら、今ごろ、おれの首はなかったかもしれねえ。手を合わせるのはこっちの方だ。女房大明神様だ』
『よしとくれよ。ささ、もうおまえさんはもう立派に禁酒を果たしたんだ。もう大丈夫だから、呑んどくれ』

「三郎は女房がついでくれたお猪口を手に取るが、そっと返しました」

『どうしたんだい?』
『いや、やっぱり、呑むのは止めておこう』

「また夢になるといけねえ」

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