傷や不快を言うことには意味がある

毎日やることはいっぱいあるのに正直生活や社会の中で感じたイヤなことや懸念をわざわざ書き残しておくのも時間の無駄だと思うことがある。

しかし、そうではないと最近思う。だから思いついて、時間があるときには、書けるときには書いておくことにした。

日本の女は正直おとなしいと思う。

最近接するようになった海外の女子のハングリーさに比べたらね。

実際これまで知ってきた日本の女性たちはだいたいたおやかで、性格がきつい人がいても、慣例には従う。そういうのは女性だけではないが。

なのでこれまで自分のような「女だけが社会の成員を産む苦痛をするというのに、それを与えられている側が積極的に性犯罪などで女を害することがある社会、また男の性犯罪や女蔑視に甘い社会、に怒りをもつ人」はそうそういないのだと思いこんでいた。
みんな優しくて我慢強く、そういう「社会のルール」に沿って生きることは大抵の人は平気なんだ、自分とは違うんだと。
なので自分が怒りを表明してもみんな引いてしまい、聞かないだろうと。

また、自分にはそういう「ルールの中での幸せ」みたいなものに対して感受性がないが、その制限内で生きてもそれでいいと思っている女性たちもいるのだろうしそれが多いから、こんなままなのだろうと。

しかし、最近そうじゃないとわかった。ネットや身近で声を上げる人にいろいろ会うようになってきたからだ。また、セクハラレイプジャーナリストや政治家に対して声を上げた女性たちのこともある。

それを受けて、今までそんなものはないとか、大したことじゃないと思っていた友人の女たちも、少し認識を改めたような人もいる。

そりゃそうだ。
みんな不当にこんな立場をずっと押し付けられて平気なはずがない。
悪いことしたわけでもないのに生まれつき生理や妊娠中絶出産の痛みと犠牲は100%こっち、なのにそれは当然と理解もされず、その上性犯罪され、そのことさえ女のせいだと言われて黙らされ、その上社会的にもコミュ力が高いだの学力が高いだので不当に努力を踏みつけられて落とされ、男が必要とするくせに性産業に関わっていれば汚い女性器とか平気で言われ、その上白白と女は能力がないだのまんだのと蔑視呼びされ、実質家事育児の労働をしているのに養ってるだの言われ、飼い主づらされ、俺様の世話するのは当然だのづらされ、それを言えば男もつらいんだから黙ってろと男が作った社会の責任まで片棒かつがされ、怒りを覚えないほうがおかしい。


そりゃ、そうだよね。
怒る人が山ほどいて当然だ。

それがわかったことがよかった。みんな同じだったんだ。一人ではない。
弱者はなかなかまとまれないとは言うが、それがわかって本当に良かった。

だから怒りや不当や傷を発言することには意味がある。

体制を変えるなんて生易しいことじゃない。

それでも誰かが言ってくれることには価値があった。
だからおちんちんよしよし文化を続けたい奴らから殴られても言い続ける。自分以前に勇気を出して、傷まみれになってくれた女たちのおかげで今の自分もあるのだから。

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