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豪徳寺での不思議な体験

不思議な体験をしました。
毎朝の散歩に立ち寄らせてもらっている豪徳寺さん。
招き猫でも有名なお寺です。

山門をくぐって左手少し奧に進むと、招福殿があります。
招き猫さん達が大集合している光景が、とても愛らしいです。

この招福殿の入口に、招き猫さんの銅像が建っています。

毎朝、この猫さんにご挨拶をして、あまりに愛らしいので、顔をなでさせてもらっています。
いつものようにその儀礼を済ませ、鼻の頭をちょんと触って招福殿に入ろうとしたときのことでした。

鈴の音が聞こえたのです。

少しかすれたような音でした。
チリンチリン
チリンチリン
と、二回、はっきりと聞こえたのです。

それも、猫の首にぶら下がった状態で、猫が歩いたときに鳴るようなくぐもった音ではありませんでした。

もっとはっきりとした、たとえば、人が手に持って意図的に少し強めに振ったときのような、聞き間違いようのないほどの音量でした。

思わず立ち止まった私は、あたりを見回しました。
でも、まだ早朝のお寺の境内です。
人の姿も、猫の姿もありませんでした。

ふと、私は、このお寺に歓迎されているように感じました。

ここのところ、精神的にいまひとつ元気がなく、それをなんとか打破しようと、朝散歩を復活して数日が経っていました。

朝散歩をすると、確かに、少しずつ前向きになれるような気がし始めているところでした。

「この習慣をやめるなよ」
と、招き猫さんに言われたような気がしたのです。



そう思う理由はもうひとつあります。

それは、この豪徳寺さんに居着いている、「生きている」招き猫さんの行動です。

ハスキー(著者が勝手に名付けました)

どうやら地域猫として可愛がられているようすのこの猫さんは、いわゆるさくら猫です。
さくら猫とは、捕獲されて去勢・不妊手術を受け、耳の先端をさくらの花びらのようにV字型にカットされた野良猫のことです。
この猫さんの右耳もV字型にカットされています。

とてもハスキーな声をしたこの猫さんを、私は勝手にハスキーと名付けました。シベリアン・ハスキー犬の模様に似ていなくもないからです。

観光客が多い豪徳寺さんのこと。人慣れをしていることは不思議ではありません。
しかし、それにしてもです。
私が行くと、ハスキーな声で挨拶をかえしてくれながら、スタスタスタスタと私の方に向かって歩いてきました。
そして、なんの躊躇もなく、私の膝に登ってきて、そのまま座り込んでゴロゴロ喉を鳴らしながら落ち着いたのです。

こんな奇跡が起こるなんて!
私は驚きのあまり、しゃがんだまま固まっていました。

早朝の寒さの中、ハスキーをゆる〜く両腕で囲んで、しばし互いのぬくもりを味わいました。

足がしびれてきたので、そっと抱き上げて地面に降ろしても立ち去ることなく、その場に丸くなりました。

「またね」というと、相変わらずかすれた声で、返事をしてくれました。

人慣れしているとは言え、警戒心が強い猫のことです。正直、飼っている家猫よりも心を許してくれているのではとさえ感じました。


豪徳寺さんの公式サイトには、一般的な招き猫と違って、ここの招福猫児(まねきねこ)がなぜ小判を持たないのかが説明されています。

小判を持たない招福猫児

豪徳寺の招福猫児は小判を持っておらず、右手をあげています。
招福猫児は、人を招いて「縁」をもたらしてくれますが、
福そのものを与えてくれるわけではありません。
人との大切な「縁」を生かせるかどうかは、その人次第。
報恩感謝の気持ちがあれば、自然とその人のもとに福が訪れる、という教えから、小判を持たず、右手だけをあげています。

豪徳寺公式サイト

福は自分で動いて自分で手に入れるもの。

私のこの不思議で奇跡的な体験も、朝散歩をしようと自分から動いたからこそ遭遇できたことです。

鈴の音は私の空耳かも知れません。
ハスキーが膝に乗ってきてくれたのも、寒くて暖まりたかったからだけかも知れません。

でも、そんなことはどうでもいいのです。

大事なのは、自分が前向きになれたことです。

それになにより、朝散歩の楽しみができて、これからも、寒くても早起きをしようと思えるではないですか。






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