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日々感じたことを整理する。 写真はヨルダン北部、ザータリ難民キャンプにあるピクルス屋さん。 ここのマクドゥースが忘れられない。
駄作の集会場。
心に残る本を、人生の記録に。
先日、久しぶりに人前で自分の体験を話す機会をいただきました。 内容は主に、僕のヨルダンでのシリア難民支援についてだったのですが、最初の自己紹介がてら、初めて難民支援という現場を経験したギリシャでの話もしました。 終わった後、3年前の今頃撮った写真を見ながら自分のいわゆる「原体験」を振り返り、自分がその時感じたこと、なぜこの道に進もうと思ったのかを振り返っていました。 するとそれは共感ではなく、怒りだったのかもしれないと思えてきたのです。 「ヨーロッパの地獄」僕の働いて
突然ですが、僕は「チック症」という発達障害の一つを持っています。 チック症という名前、おそらく多くのみなさんが聞いたことのない病名ではないでしょうか。 ただ実は、タレントのビートたけしさんや、石原慎太郎元東京都知事などもこの症状が残っていると言われています。 今回はこのチック症をみなさんに知ってもらいたいと思い、書きました。 「チック症」の症状チック症、では具体的にどういう症状の病気なのでしょうか? 学会の説明によると... チックは、突発的で、不規則な、体の
ふと、小さい頃のことを思い出すことがあります。 僕は小学校の途中まで母の実家がある浜松市に暮らしていました。 そこでの会話、晩御飯の匂い、気温、あたかもその場にいるような感覚に突然なります。 その感覚を思い出す瞬間というのが、お米を研いでいる時。 遠く異国の地にいる時でも、釜の中にあるお米を水ですすいでいる瞬間に、20年前の感覚を思い出すのです。 お米を研ぐ、という作業は僕がずっとお手伝いとしていたことでした。 祖母の横でこぼさないように、冷たい水で、お米の量に応
「あなたの夢は何ですか?」 これを読んでいるあんたも子どもの頃、よく聞かれた言葉ではないでしょうか? 「夢を持つ」 「自分の将来、大人になった姿を思い浮かべる」 誰もが経験した、当たり前のような感覚かと思います。 ただ、その感覚が当てはまらない経験を僕はしたことがあります。 難民の子どもたちの夢僕は約10ヵ月間、インターン、そしてスタッフとしてヨルダンにあるシリア難民が暮らすキャンプで仕事をしていました。 いわゆる「難民キャンプ」と呼ばれる環境です。 僕の団体
ツンとする冷気 顔にまとわりつく水泡 そして徐々に温めてくれる、ボヤけた光 それらをまとめて吸い込む朝。 自然の力が気道を通り、カラダに染み渡っていく 「あー今日も生きている」と、一日に向け一歩を踏み出す。
(写真はザータリ難民キャンプで出会った仲良しのおじいちゃんたち) 先日、『ダイヤモンド・オンライン』にてこのような記事を見つけた。 「定年後は田舎暮らし」の落とし穴、“定年難民”にならない4つのコツ(https://diamond.jp/articles/amp/173683) 内容を大雑把に言えば、定年後に生きがいを失って居場所も目的もなく暮らす“定年難民”にならないための4つのアドバイスが書かれています。 ...という内容は正直どうでもいいんです!! 僕が何
梅雨の季節。 緑の山は雨に濡れ、その色と匂いをさらに深いものにする。 何億枚もの葉、何万本もの枝、何千本もの幹。 同じに見える樹々も、大きさ、厚さ、表面の感触で全て異なる。 その全てのドラムの上に水滴は落ち、十人十色の音色を奏でる。 鳥のさえずりは主旋律を奏でる弦楽器。 そしてそこに響きわたる僕の足音。 これはいわば、山をハッとさせる緊張を生む、金管楽器に違いない。 梅雨の山。 そこは自然と動物と人間、みんなが演者の大コンサート。
•あらすじとある国のとある都市でいつもと変わらない日常を送っていた信心深い青年、サイード。そして親元から離れ、自由を愛する女性、ナディア。 ある日、武装集団が彼らの住んでいた街を襲い内戦が勃発。2人は惹かれあっていく中、サイードの母親が殺害される。 身の危険を感じた2人は、安全な地と繋がる「扉」を通り、旅を始めるのであった。 •政治性とファンタジーを融合読み始めると、この「とある街」がイスラム教の国のある街であることが分かる。 そこからも、この話がシリア紛争を
先日、痴漢を捕まえた。 そういえばカッコよく聞こえるかもしれない。でもその時、僕は確かに震えていた。 今日はその時のことを振り返ろうと思う。 いつもの日常が、一つの叫び声で変わったその日はインターン先に向かうため昼前の中央線に乗っていた。 いつものように愛用のKindleくんで『自省録』を読み耽り、ふと気づくと降車駅である中野駅に電車が止まっていた。 Kindle氏をカバンに突っ込み、他の乗客とともに改札に向かう。 下りのエスカレーターの右側を歩いて降りている
鉛色の空から雫が落ち始める5月の昼下がり、 カラフルな、せわしなく動く水玉模様の波が街に溢れ出す。 その中で1人、雫と木々の奏でる音に耳をすませ、髪を濡らし、歩く私がいる。 「風邪ひくから傘をささないと」と人々は言う。 「こんなのは降ってる内に入らないよ」と私は応える。 「欧米人はこのくらいの雨は雨とみなさいのだよ」と少しアゴをあげてスカしても見せる。 でも全ては言い訳。 本当は雨に濡らされたいのだ。都会の塵やら排ガスやら、人々の鬱憤やら妬みやらを顔に浴びたいの