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ぼくとおじさんと - 僕の一日

番外編⑤ 僕の一日 ep.1

今年は9月に入っても日中の暑さが続いている。
九州や東北では記録的な豪雨を記録して被害も多大なのだが、僕のいる関東では雨の日が少なく、しかも毎日が極暑続きで、テレビによると関東では連続した真夏日と熱帯夜の記録を更新した年ということになっているらしい。
一方、毎日のように日本の各地で地震が起きていて、今年は関東大震災100年目とあって世間では殊更人々が不安を囲っている。僕も不安なのだが、だからどうしろというのかという開き直りで報道を聞いている。
新聞を取っていないせいか活字に目を落とすこともなく、テレビでの報道も軽く一言「またか。」で過ごしている毎日の生活だ。
人が営む世間の中で暮らしているのだろうが、この世間も自分とは切り離されて映し出されるテレビでの世界が、僕にとっての世間のように思えている。
だからなのか、世の中が、そして世間が無機質に感じているのは事実だ。
そんな僕の一日が今日も始まっている。
今日は文乃が早めに起きてご飯を炊いて味噌汁を作ってくれた。おかずはあり合わせで食べて済ます。大抵の朝はパンで済ますのだが、ご飯も必要と言って文乃が用意してくれた。
文乃は8時の電車は混み合うと言うことで、7時には家を出て大学の研究室に向かった。
僕は8時のシフト交代に合わせるために、食事を終えて直ぐに自転車で仕事場のコンビニに向かう。
通いは普段バイクを使うのだが、ガソリン代が上がっているので今は自転車にしている。
バイクは文乃を乗せて、休みには近くの山や温泉をめぐる楽しみに残している。

今日は午後からシフトに入る桜井に任せて、外周りに出ることにしよう。
店長としての僕の日常は、朝の出勤シフトではまず夜中の配送の品物確認と品物補充のチェック、アルバイトのローテーションのチェックと商品配備確認、そして店内設備と清掃の確認だ。シフトによっては僕も夜勤にも出る。
この間、店も3店舗に拡大した。それまで店に出ていたオーナーの年齢と体力減退に伴い僕が社員としての重責を与えられている。普段客が感じる当たり前の営業維持が課題となる店舗支援要員だ。
働いていていつも思っていること、僕は「鶏口となるも牛後となるなかれ」のことわざが好きだ。
難しい試験を受けて大企業や官僚になって下っ端で働かされるより、たとえ小さくても責任を持たされ、自分の思いの届く仕事場で今働いているのだ。
我が家のことでは親父の作った借金も、安堂のおじさんや親父の弟のおじさんたちが銀行との交渉でやりあってくれて、いろいろな応援もしてくれている。
そんな力を支えに、僕は働いているのだ。
だから今日の午後の僕の仕事回りは、そんな思いで仕事をやめたがっているバイトへの再面談にした。
ささやかな暮らしを始めている我が家我がマンションを出て自転車で仕事場に向かう僕の頬を、暖みを増した風がそよいでゆく。
9月半ばの暑さでも、僕は夜にはクーラーを消し、夜中寝るときには窓を開けて夜風で涼んで寝ている。秋は宵闇の窓から訪れているのかもしれない。
自転車に乗り風に吹かれながら「風には色も匂いもついている」という言葉を思い出した。
安堂のおじさんが以前、僕に語ってくれた言葉だ。
「周りに木や山があって、季節の変わり目は風の色と匂いでわかるものだ。」
おじさんは北海道の田舎育ちなので自然の景色に満ちた環境にいて、周りの木々の香りや草木の色が風に溶けておじさんの目と鼻にそよいでいたのだろう。
一度おじさんに「毎日同じ景色を見ていると飽きるでしょう。」と聞いたことがあるが、「馬鹿野郎、山も木も毎日変化しているんだ。秋になると山の頂から紅葉が下りてくるのがよくわかる。冬が近づくと、ひんやりとした風に雪虫も飛び交うからな。」と、言っていた。
今、僕の自転車に吹く風には色も匂いもなく、自転車で通り過ぎる道際のコンクリートのビルやマンションは目に馴染んでいるとはいえ匂いまでは運んでくれない。
通り過ぎるトラックや車の雑音だけが風と共に僕の空虚な頭の中にこだましている。
店に着き、夏の日照りをはらんだ朝陽を背に自転車を降りる。
自転車を店の奥まった角に置き、狭い駐車場に目をやる。
駅に近いことでもあり、8時までは通勤客で忙しく車も止まっているのだがピークを過ぎてひと段落している風景だ。
店横の隅にひそかに咲いていた紫の小さな草花がしおれて草むらに横たわっていたのが秋の印なのかもしれない。
玄関周りを見て店内に入り周りを見渡す。普段の風景を確認するのが僕の仕事だ。店内を歩き、雑誌棚の入荷本入れが棚揃えでの変化ぐらいで、ほかに変化がないかの確認が今日の僕の仕事始めだ。
3人のアルバイトに挨拶をして事務所に入る。
売り上げの確認とシフト表の確認作業。ここから他の2店舗へ電話を入れシフトと売り上げ、客状況を確認する。この店の売り上げを銀行に入れて裏に住んでいるオーナーに朝の挨拶に行く。
僕の大事な仕事はコンビニのシフト作り。8時―13~16時、16時―22~23時、23時-6~8時を基本として、時間は働く側の都合に合わせ、通勤客や仕事回りの客に合わせ6時から8時、12時から13時は人員も増やして対応している。
そして僕の見るアルバイトたちの仕事回りはレジ作業と接客、売り場を回り陳列と商品補充に尽きるが、その他に細かいことが多く、商品の搬入と仕込み、電気代等振り込みの客や宅配物の処理などやることは多い。
したがってアルバイトの仕事も接客やレジ処理だけに関してだけ考えても、誰でも出来るわけではない。
誰でも出来るわけではない仕事なので、今、休みを取っている二人もシフトに残したいアルバイトなので、あえて家まで尋ねる理由ということになるだろう。二人には電話をかけて了承しているので、家か喫茶店で会うことになる。
コンビニのアルバイトが人気なのは、単純作業であることに加え暇な時間も多く、シフト時間の幅があるので自分の都合のつく時間に働けることと取り立てて周りへの気遣いも少なくて済み、マニュアルも充実していることが強みだ。マニュアル通りにやれば怒られることもない。
馴れると楽しい仕事場なのだが、それでも辞める意思表示をした二人なので気にはなっていた。
今日も午前中は客も予定どおりの客数が入ってくれて、僕の予定の仕事時間はあっという間に過ぎてしまった。
12時入勤シフトの桜井が11時半に来てくれたので、彼との午後の打ち合わせが早めにできた。
桜井は僕の大学の後輩で、大学そばのレストランでバイトをしていたのだが、ひょんなことで僕のコンビニのバイトを手伝ってもらったことが縁で、それから僕のアシスタント的な存在になっていた。この店の二店舗展開には、僕の支えとしての彼の存在は大きかった。
桜井とは、生き方というか、仕事への考え方が僕と似ていたことから大卒の普通の就職もせず、このコンビニで仕事をしている。彼のおかげで他の2店舗の補佐に僕が安心して行くことができるのだ。
僕はそのまま自転車にまたがり、高木尚子のアパートに向かった。
真夏の正午の太陽は真上から照らしていたが、気が付くと今は少し横に傾いている。秋なのだ。冬には太陽の光線が横から射してくる。
高木のアパートがまじかになった。高木の住んでいるところは自転車で20分ほど離れたところにあって、彼女自身はいつもバスで通ってきている。
最初は、うちの店にバイトをしながら他に清掃のバイトもしていたのだが、まじめでよく働く子だったので僕がうちの店のバイトとしてうちの店に集中させて働いてもらっていた。
そんな子が辞めるというので、僕自身気になっていたのだ。
彼女自身は直接オーナーの奥さんに辞める話を持って行ったのだが、うまく折り合わなかったようで休みがちになっていた。
自転車のペダルを踏みながら高木との話を考えていたが、出たとこ勝負で対応しようと思う。
ペダルを踏んでいると、いつも馴れているバイクとの違いを感じる。
バイクでの僕の関心は、流れる風景を横目に速度のバランスを考えることだった。
自転車では、足に力を入れて踏む事のリズムが僕の心の川の流れのリズムのようで色々な連想がそこから生まれる。バイクにはないないことだ。
高木から相談を受けたオーナーの奥さんは、店を辞めることでの進路に不安があったので真意を聞こうとしたが「私の中に入らないでください。」と断られ、それ以上の話ができないままだったというのだ。そんな相談を受けての僕の今日の出動となった訳だが、奥さんにも理解できないような同じような言い方は以前にも聞いたことがある。
安堂のおじさんが以前「店の子と心を通わせようと話をしたが、それは私とは関係がありません。私の世界に入り込まないでください。」と言われて会話が途切れ、とりつく暇がなかったということがあり、「俺たちの時代は、自分の考えをぶっつけあって初めて自分の立ち位置、すなわち私が自覚できたが、今の時代は自分の中に他人とは違う私という世界を作ってしまっているので、私という私同士の会話の話ができなかった。」と言っていた。
安堂のおじさんの話した当時は、有名な歌手が自殺したのを苦に後追い自殺が続いた現象を、おじさんは「私という自分の中を支配していた歌手が死んだことで、自分の世界の崩壊が自死につながったのだろう。世界観がまるで違っていた。」と言っていた。
その話と、オーナーの奥さんとのの話が重なって思い出していた。
ペダルを踏むリズムが、何かしら発想のリズムにつながっている。
まてよ、おじさんがよく言う「世界」や「世界観」という言葉は、僕たちは普段使わない。おじさんたちと話をし始めた頃、それは僕が幼かったからかもからかもしれないが、それまで耳にした「世界」は僕が学校で習った地理の「世界」でしかなかった。だから最初は「世界観が違う」というのを地理的な見方の違いと勘違いしていたものだ。
現代では「地政学」が復活して、地理的、領土に関わる国際関係としての「世界観」が理解されているが、昔の僕はその言葉になれるのに苦労した。
僕にとって、高木のおじさんの言葉は「私」という言葉の持つ世界観、つまり物の見方、考え方というものなのかもしれないが、僕の向き合っている「私」というのはおじさんたちの言う「世界」や「世界観」とは違う、もっと単純なものだと僕は思っている。
つまり私を構成する環境つまり人間関係、簡単に言えば友達付き合いに尽きる。
僕たちは幼い時から友達付き合いで自分の存在を確認してきた。
おじさんたちの言葉で言えば、「関係性の存在」なのだろう。
友達や家族そして自分に関わる近所の人やおじいちゃんやおばあちゃんとの関係と自分。
よくいじめで自殺した子供の話が出るが、その都度学校やいじめた子がやり玉にあがるが、自殺した子は、自分が自分であるための友達、もっと言えば人間関係が切断され一人の孤独に耐えられなく自殺したのだと思う。
学校も、そして疎外感を生んでしまった家庭も、さらにはかって抱いて抱擁してくれたおじいちゃんやおばあちゃんもいない。
学校は遊び場ではなく勉強をする場所で、成績だけが人間評価の場所だ。
いつも何かあると、自分の立っている場所からの友達目線ではなく、学校や先生という上からの言葉がけは一つも救いにはならない。
おじさんの場合もオーナーの奥さんも、経営者としての目線、交わることのない目線を言葉の隅に感じたので発したのが高木の言葉だったろうと僕は理解している。
僕の店での心構えは、友達作りだ。入れ替え可能なアルバイトという立場で、言われたことだけやるのが僕たちの仕事なのではなく、店では友達としてのチームメンバーとして、仕事はチームプレーとして助け合うことだと話している。だからよっぽどのことがない限り欠けてはならない存在としての関係性を大事にしている。
そんなチームのメンバーとして高木と話をしに行くのだ。この間、彼女は深夜番として働いていたので主に昼出の僕とも話が思うようにできなかった。行けば何か話してくれるだろう。

女性の住むアパートなので、喫茶店で話をするつもりだったが、自宅で構わないというのでそのまま彼女のアパートに向かった。
アパートの近くで確認の電話を入れ、アパートの前で自転車を置き2階の高木の部屋をノックした。彼女のアパートへ来たのは初めてだった。
返事とともにドアが開き、中に入れてもらうと部屋はきれいに片付き段ボールの箱が積み重ねられて置いてあった。
「なんだ、引っ越しするのか。」
高木は台所にポッンと置いてある冷蔵庫を開け、中から冷たい麦茶を出してくれた。
「引っ越しというより田舎に帰るつもりなの。寝具と茶碗などは後ですぐ寝袋に入れることできるから。」
「店では奥さんから、高木はアパートを変えると聞いていた。」
「店長にも言ったけど、この近所で以前殺人事件があったっていうし。近くに泥棒が入ったり、一階にいる女の人が下着を盗まれたということで、私も怖くなってどうしようもなかった。だって防犯なんて無いわよ。こんなボロアパートじゃ誰でもどっからでも入ってこれるから。でも、引っ越しといっても防犯で安心できるマンションは私には手も出ないし。お金も貯めなくちゃいけないから。困っていたの。」
確かに古いアパートで、窓はあるが隣と接して陽の光も入ってこない。
東京に出てきて、一浪しているので大学か専門学校へ行きたいので働きながら資金をためるということを店の面接で言っていた。
安いアパートを探して住んでいるとはいっても、環境の面で衛生的にも良いとは言えない。
店では仕事はまじめで客受けもよく、僕が安心して仕事を任せることのできるメンバーなのだが、明るく健康的な高木には馴染むことのない環境で暮らしていることになる。
「見たところ、寝るだけといっても環境的にもいいとは言えないな。奥さんから話を聞いた時、高木の経済的な状況を考えて奥さんと相談したのだが、社長のところは子供も成長して家を出ているし空き部屋もあるので高木に住んでもらおうという話をしたんだ。どうだろう。」
高木は驚いたようで、考え込んでいる。
「ありがとうございます。そこまで考えてもらうなんて思ってもいなかった。でも。」
高木は言葉を切った。
「どうした、何か問題があるのか。僕たちは仲間で、君は僕にとっても大事なチームの一人なんだよ。」
「気持ちはとてもうれしいのですが。でも。」
また、「でも。」が出た。うれしいのか悲しいのか、目が涙ぐんでいる。
「この際、あけっびろに言ってくれ。ただ、僕を好きだといっても、これだけはかみさんがいるからな。」
僕は冗談交じりに言葉を返した。こんな時、真剣な話を会話のテーブルにのっけても話が暗くなるからだ。
「店長だけに言うけど、実は付き合っていた人がいて。」
高木は、また言葉を呑んだ。それでも勇気を出すように表情をこわばらせ僕に話し出した。
「彼に田舎に帰りたいという話をしたら、急に怒り出して『なんだ、俺は遊びだったのか。』って怒鳴るの。それからは話にならなくて。それまで軽くて面白い話をしてくれる人と思っていたのに180度変わった顔は恐ろしかった。それから執拗にうちに来ては『俺からは逃げれると思うな』と、幾度か殴られたことがあった。今朝も・・・・。」
そうか、高木はそんな男から逃げるために引っ越しを考えたのか。しかも金までせびっていたとは。
暫くは高木の話を聞いてあげていた。
とことん話を聞いてあげて、最終的な彼女の判断を待つとしよう。そして時は過ぎた。
「それで高木としてはどうなんだ。仕事はベテランで、楽しく働いているバイトを辞めて、田舎へ帰るのか。」
「仕事は続けたいの。田舎に帰っても仕事は限られるし、みんなと楽しく働けるなんてなかなか出来ることじゃないのは知っている。でも、あの男が来たらお店にも皆にも迷惑をかけるし、やっぱり田舎に帰ろうと急いで段ボールをもらってきて、準備をしていたの。店長にも皆にも申し訳ないけど。ごめんなさい。」
高木は目からしずくを落として、あわててハンカチで拭いていた。
「よしわかった。詰め込めるものは全部段ボールに入れて、社長の家に持っていこう。高木はチーム復帰だ。すこし仕事を増やし責任をもって働いてもらう。」
高木は驚いて僕の顔を見上げた。
「その男へは、僕が行って話をしよう。もし、しつこく付け回すようなやつだったら、警察に行こう。事情を説明して、しかも殴られたのだから。裁判所から立ち入り禁止の仮処分を取って高木を守るよ。」
「そんなことできるの。」
高木はしつこく聞いてくるが、善は急げだ。段取りを説明しアルバイトで車を持っている桜間に電話をし、車でこちらに向かわせた。
「店長、いいんですか。私の勝手で、皆さんに迷惑をかけているのではないですか。」
高木はただ驚いている。一人で考え込むより、仲間で助け合うことが一番の解決法だ。
「ところで、高木は料理が好きだよな。一人で生活していたし、田舎じゃ料理も作っていたというし。出身は秋田だったよな。
奥さんには僕から連絡しておくから。たまには郷土名物でも作ってあげてくれ。」
高木は目に一杯涙をためながらうなずいている。
「じゃあ、早く準備をしろ。ここの大家には後からでも話はできる。」
高木は慌てて布団と雑器を布団袋にしまい込んだ。
周りを見渡し、段ボールの箱詰めと冷蔵庫を運び出せば何もない。
ここでの段取りは、問題の男が戻る前に終わらせよう。
男が来るまで待つか。来たら僕が話をつけるつもりだが、もっとも、引っ越し自体がが一大作業なのでこれが優先のようだ。
もう一人の相談予定は、これらの荷物を送りこんでから行くつもりだが、とりあえず、電話をして確認しよう。
そして用が早く終えたら2店舗に顔だけでも出しておこう。
二人で高木の荷物を外に出し、僕は煙草に火をつけて一服しながら桜間の車を待つ。
待つ間、秋の調は陽の落ちる影でわかった。日が陰り、それまでになく早い夕闇が迫っていいるようだ。

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