見出し画像

ベローチェのナスとベーコンの焦がし醤油のパスタがとってもおいしい。こればっかり食べている。量が少ないので、大盛りがあったらいいのに。カフェのパスタは量が少ないと決まっている。あっという間になくなってしまう。たくさん食べたい。
具が均等に減っていくように、ベーコンを最初に食べ尽くさないように気をつける。輪切り唐辛子が最後にひとりぼっちにならないように適度に絡める。どの部品も残したくない。儚くも食べ終わる。足りない。足りない。私はお腹が空いている。仕事終わりのおやつパスタ。夜にまた何か食べるだろう。パスタが少なくてもギラギラした空腹はとりあえずおさまる。ガルルルル。お腹が空くと凶暴になる。しかし断食した人のエピソードを読むと凶暴になっていなくて穏やかだ。私も空腹でも凶暴になる時とならないときがある。その違いはなんだろう。
蚊に刺された皮膚も、痒い時と痒くない時がある。それはなぜだろう。
どちらも穏やかでいられたら何も起こらないというのが共通している。皮膚の表面にだって穏やかか、そうじゃないかがある。穏やかでいられないというのはどういうことなのかと考える。穏やか、がニュートラルポジションで、そこから出ることで、穏やかではない、が生まれる。穏やかでない、の時は怒ったり悲しんだりイライラしたり笑ったりはしゃいだりしている。いつでも、穏やか、に戻ることができたらいい。
穏やか、に戻れる時の状況を思い出す。例えば、銭湯で熱い湯で体を過酷にさらしたあと水で冷やすと穏やかが訪れる。飛ぶ。適度なストレス下にあると揺さぶると穏やかが訪れるのか?どうして?ドーパミン出るから?
仕事に行くのはストレスだけど、仕事に行かないなら行かないで、何をしたらいいかわからないストレスが生じるからどちらがいいとも言えない。仕事に時間を拘束されて過ごすけど、解放された時に自由を感じる分、仕事に行くストレスは役に立っている。労働時間はもう少し短くていいけど。
私の自由を感じられるかどうかは、仕事終わりに時間を使える体力があるかどうか。疲れ果てて部屋に倒れ、YouTubeを見る他なくなるというのは不自由だ。

ストレスに慣れて、ストレスなくしては生きられない。ストレスに依存している。ストレスはドラッグのようだ。仕事で適度に頭を使って、今日もムフフと思い出すファインプレー。人間関係は改善されないけれど、解像度が上がる面白さ。そうだ、今日も難しくて面白かったんだ。アドレナリン、ドーパミン。
すがる人の気持ちを考える。ずっと悲観していてもうだめだと言う。自分のことに一杯一杯で思いやりの余裕がない。自分のことしか考えられない。ネタを探す策的範囲が内部にある。内側だけになると狭い。
ZINEに書くネタが思いつかないように。広がりが制限されている状態。抗議する。こんなことが許されるはずがない。外に出せ。ここは狭い。こんなところに留まっていられない。仕事終わりにカフェに来たなら、おやつにパスタを食べる自由と楽しい考え事をする自由、切羽詰まっていない自由、お腹が満たされている自由、が欲しい。仕事終わりに自由がたくさん欲しい。この大空に翼を広げ飛んでいきたい。
もっと怒れ。アドレナリンとドーパミンを出したらいい。こんなことでいいわけがないって怒ればいいんじゃないか。体内の化学物質によって簡単にひっくり返る。信用ならない体だ。
直感的にわからないものはずっとわからない。そのレールを組み替えるには、長期休暇!長期休暇!怖がらないで長期休暇!しかし長期休暇って何したらいいんだろう。自然いっぱいのユースホステルか民泊に長期滞在してぼーっとするとか?

長時間労働禁止、飲み会は強制ではない、などマッチョイズムから距離を置かなければいけないという風潮はアドレナリン、ドーパミンが出続けることも良くないよねっていう流れなのかしら。穏やかはドーパミンの後にくるのに。いや、それで今サウナが流行っているのか。長時間労働もパワハラ飲み会のどっちも経験したことないけども。私は学校で皆勤賞を取るし、運動部の部活に入ってたし、体育会系な考え方をする方かもしれない。毎日ストレスを受けに行く場所がある方が落ち着いていられる体になってしまった。そんなのもう時代遅れか。そうじゃないやり方で、朝起きてアドレナリンを出す方法が想像つかない。アドレナリンとドーパミンがなかったらダウナー。結局脳内物質に支配されているのかよって。なんかわからんけど怒ろう、落ち込むくらいなら、コンニャロって。スーパーサイヤ人の如くウオオオって光ろう。
インド人に毎日連絡してこないで、私の時間を奪わないでって言った。ストレスだった。このストレスはその後にドーパミンが出るようなスカッとしたものではなく、自由な時間を蝕むどんよりとしたストレス。腰のあたりが痛くなるような。連絡がこないことで安心して過ごせる。ウオオオ
いいストレスとよくないストレスがある。ストレスを嫌厭しないで、パリッとしたストレスを摂取すべし。シャキッとしたストレスであれば、合法ドラッグ、気分爽快ですので。サクッとカラッとパラッとペリッと自分を苛める。体が重たいからランニングは勘弁で。

メールを見て体温がビビッと上がった。びっくりした。来るもの拒まず、断るなんてない。メールを返す。すごくおもしろい。びっくりした。面白くてびっくりした。とてもびっくりした。私と話したいと思ってくれているというのがすごい。私はとてもびっくりした。光ってる。サイヤ人のように光っている。自問自答な日記なのです。自分でどう思っているのかを確認しているのです。なんという、ありがたや。急展開ヒヤヒヤ。1人でそわそわしている。そわそわソワソワ。
伊藤雄馬さんから連絡があってびっくり!
青天の霹靂!(霹靂ってなんだろう)
電話で1時間話すという出来事があった。尻に汗をじっとりかいた。なんだろう、これは。カチコチになった。ほぐさないと。緊張して右手親指の付け根が強張っている。

できるだけ書こうとしてみる。見られると思うと引っ込み思案になる。どうして見られると思うと引っ込めたくなるのか。手を伸ばしていいのかわからないからとりあえず引っ込めとくのか。安全圏に居ようとして。
なんで引っ込めるのか不思議に思われるが、私としては逆に他の人のオープンさが信じられない。こんなことがあったよ!嬉しい!って直で出せることがすごいことだと思う。私はねじくれている。それでもねじくれないように気をつけているから、いつか最初から率直な人だったかのように矯正されていくだろう。素直な人間になるように素直シナプスバイパスを建設する。
日記の感想をもらったり、発明について話したり、シェアハウスについて話したり、きっとそうなるだろうなと思ってた感じでとりとめなく。私が気をつけたことはカッコつけないようにしたこと。
結構遡って読んでくださっていて恥ずかしいですね。最初のころは日記を始めた勢いでもっと赤裸々だった。なにしろたまってたことを全部出さないといけなかった。他の日記でたくさん埋めてあれば恥ずかしいのがたまに混ざってても見つからないだろうと思ってた。そうか、日記を公表するとはこういう目に遭うのかと初めて実感した。でも改まって自己紹介せずに済むし、日記を公開するのは便利だ。改まるのは苦手だ。
電話を切った時間が22:22でゾロ目だった。おおゾロ目だと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?