ワセジョが嫌い。

早稲田大学の女子学生のことを「ワセジョ」と呼ぶらしい。知り合いにも2,3人、(元)ワセジョがいるが、私はワセジョが嫌いだ。何なら早稲田卒の男性にもあまり良い思い出がない(この文章を昔の上司が読むことがないことを切に祈る)。なんというか文化人なのだ。よくわからんフランス文学や現代美術の話、展覧会の話、そして揃ってパリへ行く。異端児ぶって、なんなんだよ知的文学部女子の典型じゃねえかと叫びたくなる。そして大体ブログサイトでエッセイを書くのだ。いい加減にしてほしい。「私にしかわからない」「私だけが知っている」というスタンスで透明な少女を気取っている。そんなわけあるかと言いたい。あなたが頭にかぶっている、そのベレー帽を殴り捨ててやりたい。独特の感性なんてあるわけない。そういうのは本当に一部の人だけが持っていて、そうやってひけらかすものじゃねえんだよ。本気を見せろ。チラリズムが喜ばれるのは肌見せだけでお前の内面なんて誰も興味ねえんだよ。・・・と、言いたいところだけど、あくまでこれはごくごく一部の高学歴文学部女子の所作であり、早稲田卒の女性がみんながみんなこういう人というわけではない。むしろ私の周りには額ハチマキ系女子のほうが多かったような記憶がある。だから、ワセジョが嫌いというのは違って、正確には「鼻につくような言動が多い高学歴文学部女子が嫌い」というべき。なんなんだろうな、あの独特の感性。私はそこそこの私立大学の文系を卒業していて、早稲田なんて絶対入学するのは無理なんだけど、例えば実家が裕福で、東京とか京都とかにある高学歴大学に一人暮らしができる周囲の女子に対してすごくうらやましかったのだ。楽しそうだった。地方ではやっぱりまだ「女の子は短大で十分」みたいな風潮もあったりして、きょうだいがいる私は「支出少な目で」と言われ、自宅から大学まで片道1時間半かけて通っていた。往復で3時間である。そして門限。22時の門限に間に合うために飲み会なんて一度行っただけ、しかも途中退席。あーあ。私が電車に揺られている間に、実家の自室(当時、実家の中でヒエラルキーが低かったので一階のエアコンがない和室が私の部屋だった。ちなみに他のきょうだいの部屋にはエアコンがついていた)の天井のシミを数えている間に、あいつらは知的好奇心と若い時間を持て余して文学にふけったり展覧会を見たり、なんなら恋愛とかしていたんだろう。私が一番許せなかったのは、当時の知人にこういったタイプの女性がおり、大学卒業間際の3月に、当時付き合っていた彼氏について恋愛相談を持ち掛けられ、結婚も視野に入れているということだったので、お互い真剣に話し合ったはずなのに、彼女はその3か月後に就職先の上司と付き合いだして学生時代から付き合っていた文学青年にサッサと見切りをつけた。頭が良すぎるし異性としての魅力もあるとはこれはどういうことなんだろうか。もういやだ生きるのやめたい。なのにその後、該当の彼女は、文学的あれこれをツイッターでつぶやきつつ、今度は浮気相手(おいおい)とお泊りしてるホテルの窓から見える景色をスマホで撮ってそれとなく裏垢でつぶやいたりしていた。この世は感性ではなく弱肉強食だと思い知らされた一件だった。だからお前らは知的文学好奇心でも現代美術でもないんだよ、ただ頭が良くてよい環境に生まれただけ。そう言って「悪霊退散」の札を額にパシッと貼ってやりたいと常々思っている。

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