見出し画像

旅の記録|”旅”をどう定義するかの話をしよう。

みなさん、こんにちは。アクセスいただき誠にありがとうございます。

今日は旅の話をしたいな〜と思っています。明日から2日間、少し家を離れてイベントに参加してくる予定なので、そのことを考えていたらふと旅について考えたくなってしまって。笑
でも、どこかに行った話をするとかじゃなくて、この先このnoteに残していく”旅”の記録について、序章を書いておきたいなくらいの気持ちです。

ちなみに余談ですが、今日のサムネイルは昨年の夏に岩手の宮古に行ったときの写真。海が綺麗。

そもそも、旅ってなんだろう。

これが今日のメインの問いです。旅という言葉を広辞苑で探してみると、以下のように書いてあります。

①住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと。旅行。
②古くは必ずしも遠い土地に行くことに限らず、住居を離れることをすべて「たび」と言った。

広辞苑第六版

これを読んで、もちろん納得感はありますが、ここでいう「一時」ってどのくらいの期間なんだろう。っていうのがちょっぴり疑問です。笑

住む土地を離れるだけなら、大学に行くのも旅になるのかな?と思ってみたり(私は通学するのに県境を跨ぎます。笑)。
昔は、住居を離れたら「たび」と言っていたようなので、買い物に行ってくる〜くらいのノリで「たびに行ってくる〜」と言ってもきっと違和感はなかったのでしょう(ほんとか?笑)。

この定義を読むだけだと、地元から離れる、住んでいる土地から離れるということの全てを「旅」という言葉で包含できるような気がしてきます。

そう考えると、旅で定義できる範囲ってめっちゃ広くないですか?

私がなぜこの「旅」という言葉の定義を議論しようとするかという背景には、実はこの「キョリカン(距離感)」を捉え直すことに起因するものがあります。辞書的には「土地」という軸で距離感を捉えて旅を説明しています。でも、個人的にはキョリカンというのは物理的なものもそうですが、思考を巡らせる中での、事象同士の距離感のことも含むのではないかと考えています。

具体的な事例でいえば、
最近のnoteにて、昔インターンでお世話になった方ともつ鍋を囲みながら2人で話をした時間を、私は「旅」と表現しています。でも実際のところ、もつ鍋を食べていろいろな話をしていただけ。傍から見たら、その居酒屋からどこにも出かけてはいません。

※その記事はこちら

ただ、私からしたらその時間もと表現したくなったのです。お互いの仕事の話をして、お相手が海外に行ってきた話を聞いて、パズルの話で盛り上がって。。。
こういった話題の転換の中で、私は様々な色の景色を見させてもらって、対象が人に限らないたくさんの出会いをしました。

めぐれば旅出会いがあれば旅

それは土地に限らずだと思います。世の中にはいろいろな道や場所があることは事実ですが、それと同じくらいいろいろな人がいて、様々な考え方があって。

身体を使ってそれらに訪れてみてもいいし、頭の中で事象同士を行き来する中で得るものがあってもいいよなぁと、そう思うわけです。

結局そうやって抽象度をあげていって、ものごとの”つながり”を考え、探し続けているのが私らしいなと思った今日なのでした。昨日は、私が生まれつきの効率厨だ(ここだけ切り取るとただのイヤな奴になってしまって嫌😭)っていう話をしたけど、もしかしたら何でもかんでも定義から考えてしまう厨でもあるのかもしれない。私、ますますなんだか変なやつですね。(って自分で言ってるやつ大体変じゃない説。)

※昨日の記事はこちら

まぁ、そんな自分を少しずつ受け入れながらも、引き続き思考を巡らせ、をしていくことにします。

さて、明日、明後日はイベントを目一杯楽しんでいることと思いますが、その楽しさを皆さんにも共有する意味でも、noteもほんの少し書けたらなと思っています。

本日も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?