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名も無きものと共に在る今

最近、よく見ている小野さんの動画です。


はっとすると言いますか、

名も無き者としての自分と、
名付けられた自分と、
これは地と図のようなもので、
片方にいるときは片方が消え、
反対に移れば、反対が消えるような関係なんですね。

先日、「われここにあり」と宣言することを書きましたが、この「われ」は名もなき自分でありながら、その実、切っても切れない関係として、名付けられた自分も重なっているわけです。

「われ」を宣言するということは、とてもむずかしいことであるなあと、あらためて思いながら、それでも「われここにあり」と言わないことには、何も始まらないのだと言うことなのだと思います。

たしかに、名もなきわれが現われているときには、誰の言葉も否定せず、静やかに口を噤むでしょうし、世界を拒絶せず、緩やかに目を瞑るだろうと思います。

そこに至るには、長い年月が必要なのでしょう。

たくさんの経験とたくさんの挫折が必要なのかも知れません。その結果として、真名と仮名の等化を見いだせる位置にたどり着けたのならば、すべてを受け入れて、静かに微笑んでいられるのだと思います。

そして、きっとその時には、素晴らしい踊りが生まれるのだと思います。そのような所にたどり着けたらいいなと思いながら、この動画を見ていました。

これまでのすべての経験と、今目の前に広がっている現実と、すべてを受け入れて、すべてを了解しながら、川の流れを見つめるシッダールタのようになりたいと思ったのでした。


言葉を否定せず静やかに口を噤む時
初めて聞こえてくる歌の調べがある

世界を拒絶せず緩やかに目を瞑る時
初めて見えてくる光景が立ち上がる

   *   *   *

名も無きものから全ては生まれた
名もまた名も無きものから生じた

名も無きものは歴史に名を残さない
名も無きものは名を秘して語られる

混沌の中の無秩序からは遠く離れ
名付けられた後もそれは常に在る

他者とは共有できないものがある
名も無きものがそこには沢山ある

   *   *   *

真名を明かすと力を奪われるという
命名とは未来を先取りする呪の形成

言霊とは本来実体のない強大な力だ
使用者のバイアスが掛かる呪文力学

名は繰り返し唱えられる最大の呪文
名も無き者と付けられた名との相性

名も無きものは捉えられないけれど
名も無き力は数と形と言葉で現れる

   *   *   *

名も無きものを言葉で語る必要はない
名も無きものも在るとただ知れば良い

名の無きものは存在しないという不遜
名の無きものは認識できぬという鈍愚

頑なに否定する断言口調は哀れに響く
名も無きものをも名で括りつける傲慢

安直なる空名にタグ付けして増幅し
電脳と魑魅魍魎とを抱き合わす蒙昧

   *   *   *

名付けられた時名も無き自分は姿消し
名をするりと抜け出して寄り添うそれ

名もなき方の「私」に気づき親しむ喜び
理解不能の前で謙虚に沈黙を保つ意志

他者の意見に自主洗脳され易い時代
自分自身に置いて行かれる人もいる

名も無き私と名の有る私が共に在る今
真名と仮名とがここに在る静かな喜び

名も無き私と名の有る私が共に在る幸せ
真名と仮名があってよかったと思える今

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