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STUDY:シティポップとは何だったのか?第6回(最終回)

6 シティポップとは何だったのかー 結論?

 ここまでシティポップをはじめとする様々な流れを見てきた。シティポップは「歌謡曲とニューミュージックの融合した先にある音楽」であり、「虚構の都市」イメージが付随した。昨今の再評価とFuture Funkの登場には虚構性という共通点があり、流行の理由としてはいくつかの要因が考えられる。

 今回提示したテーマのキーワードは「虚構」だろう。「シティポップ:主に1970年代後半から1980年代に流行した、都会的なイメージを前面に出したポップスを指す」(Wikipedia)というように、シティポップは「都会性」「都会的」と表されることが多いが、それこそ「虚構」であることを象徴しているのではないだろうか。都市という存在はこれといった定義はなく、人や住居、会社などの建物の集合体を指す。これがあるから「都市です」という風に簡潔な表現はできない。都市という存在自体、目に見えているようで目に見えていない虚構の存在なのだ。(その意味では繰り返し使ってきた「虚構の都市」は二重表現になってしまうが)シティポップが持つ虚構性の中には消費主義や時代の空気感が内包されている。そこから感じるノスタルジックな感情が、さらなる虚構を生み出す。シティポップとは虚構の連鎖から生まれるものであるのだ。

おまけ

 私がシティポップに出会ったのは、おそらくオメガトライブが最初だと思われる。父親の影響を受け、中学生のころから80年代の洋楽を聴いてきた私はもともと商業サウンドである「時代の音」に慣れていた。その耳が慣れている状態でオメガトライブを聞くと、「ダサい」「古い」なんていう感情は特に生まれてこない。逆に「なんてかっこいいんだ…」という風に、自分自身もAOR系ロックからの入門という形をとっていた。オメガトライブの良さは、林哲司による泣きのメロディだろうか。ポップな雰囲気の中に入る哀愁あふれるメロディは洋楽にはない「歌謡曲らしさ」だった。林哲司もインタビューで「『中間色』が僕の個性なのかな。明るさの中に哀愁が浮いてきたり」と話している。この、明るさの中にある哀愁というのが、個人的にはシティポップだと思う。そして私が好んでしまうサウンドだ。そして、本文でもふれたとおり、虚構性(それは決してかなうことのない憧れ)を常に抱いている。80年代にシンパシーや憧れを感じてしまう理由は自分でもよく分からない。あの時代のカラカラと乾いた商業主義、もう二度と訪れることはない、バブル前、バブル中の日本―。今回はそれらの愛だけを武器に1週間という短い期間での執筆となったため、多くの穴があるだろう。研究というのは苦しく孤独なものだとはじめて知った。しかし、「そして僕は途方に暮れる」のではなく、さらなる原因解明のために続けていかなければならない。おそらく80年代という時代は永遠に理解できないだろう。それでも、私は追い続けてしまう。シティポップ、そして80年代に魂をささげることを宣誓して、このレポートは終わろうと思う。


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