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STUDY:シティポップとは何だったのか?第3回

 まず、ここまでの整理をしよう。シティポップは「歌謡曲とニューミュージックが融合した先」にある音楽ジャンルであり、主観的なイメージが影響する虚構の都市が舞台になった。というのが簡潔なまとめ。

 さて、さきほど後回しにしてしまった、角松がリゾートサウンドからダンスミュージックに振り切ったことに関してについて。初期三部作と比べて圧倒的にダンサブルなサウンドでベースラインを強調した「都会的」と称賛されるアルバム「After 5 Clash」、そしてそのあとリリースの「GOLD DIGGER〜with true love〜」をひも解くには、角松自身にスポットライトを当てるべきだろう。エンタメステーションの角松敏生ロングインタビューを引用する

 「3枚目で結果を出しましたから、メーカーに対しても。そこから先は全部やっていいよって、野放しになったんですよね(笑)3枚目4枚目を作ったときに、全体の音像に関してまだまだ不満があったんです。海外の作品を聞くたびに和製のものとの音の違いに愕然としていました。そんな時、その原因はミュージシャンよりもエンジニアだと思ったんですよ。そこを解明したくてN.Y.に渡ったんです。」

 つまり角松は、3作目でセルフプロデュースをはじめ、4作目を作るが納得ができず、音を求めて渡航したというわけだ。3作目と4作目は彼にとっては挑戦だったのだろう。プロデュース初になる3作目は今までの路線(リゾート)を行くという保守的戦略をとったに違いない。そして3作目が売れ自信を得た角松は4作目をつくる。この4作目こそ、角松本人がやりたかった曲なのだろう。(本人の言葉はないので真相は分からないが)しかし、自分の希望通りにいかないことに愕然とした角松はニューヨークに行く。悪意があるように聞こえそうだが、角松はアメリカを模倣しに行ったのである。そして模倣の結果、質のいいレコーディングを経て、生み出されたばかりのスクラッチを使用した5作目「GOLD DIGGER〜with true love〜」が発表される。 確かに4作目とのクオリティの差は素人の私にもわかる。より洗練された質の良いサウンドで、よりグルービーに仕上がっている。(よね?)

 角松敏生の転換のキーワードは、「模倣」だ。西洋的、とりわけアメリカの模倣。そして模倣の結果は虚構の都市を形成するのにも一役買っている。虚構の都市は、無国籍的ではあるが、ニューヨークの摩天楼を思い浮かべる人も少なくはないだろう。80年代、日本はバブルに向かって経済の安定を誇っていた。やっとアメリカと肩を並べる時代が来たのである。常に眼中にあった太平洋の向こうの大国。その国にケンカを売るように、模倣して、エセ・ニューヨークを形成していく東京。摩天楼というのは、アメリカをターゲットに経済成長を続ける日本、東京の象徴でもあった。アメリカコンプレックス―。ここではこのような言葉を使おう。常にアメリカを意識してしまうという日本人、東京人のジレンマ。 

 さて、角松敏生を例に、彼が行った西洋への模倣と、アメリカコンプレックスを指摘したが、ここで述べたことがそっくり当てはまる事例が他にも存在していることに気づいてしまったのだ。1983年、まさに同時期にオープンした、東京ディズニーランド。ここも紛れもない、模倣とアメリカコンプレックスで成り立っている国であり、その背後には大量消費社会が隠されていた。

 東京ディズニーランドを社会学の観点から分析した、実に皮肉的な一冊「東京ディズニーランドの神話学」では、東京ディズニーランドは「海外のトラウマと大量消費社会が衝突する場」と表現している。「海外のトラウマ」では江戸、明治時代に遡っての言及がされているが、ここでの記載は控えておく。簡潔に表すために、加藤周一の言葉を引用しよう。「近代日本は西洋をお手本としたものの、典型的には行われておらず、ゆがみ、ひずみがある。」ゆがみ、ひずみというキーワードは、模倣したくてもしきれないコンプレックスと親和性が高い表現だろう。そして東京ディズニーランドは、まさにアメリカの模倣である。入って真っ先に感じることができるだろう。そして訪れる日本人は何らかのコンプレックスを感じることになる。憧れの心の奥には、決して「こうなれない」ジェラシーめいたものが潜んでいるのだ。そして、大量消費社会に関しては、東京ディズニーランドの存在自体が消費社会に組み込まれたものだった。80年代、中間層が豊かになり休暇にお金を落とすようになる。外国、リゾートへの旅行、そして都市型リゾート。これらの休暇の中に並列できるものこそ、東京ディズニーランドだ。入園料から始まり、園内の店や食べ物、すべてにお金がかかる。そしてそれを厭わなくさせる、消費欲求を喚起されてしまう戦略が打たれているのだ。

 
 一方、シティポップと消費社会も結びつこうとしている最中だった。80年にリリースされたEpoの「ダウン・タウン」は「オレたちひょうきん族」の初代エンディング曲だったし、山下達郎でさえ「あまく危険な香り」(82)はドラマ主題歌だった。ドラマやCM、テレビ番組とのタイアップが主流となる中で、商品や番組に対する消費欲を向上させる役割として音楽が使われるようになってしまった。大量消費主義の、大量生産型プラスチックサウンドである。


 シティポップも、東京ディズニーランドも、アメリカの模倣・コンプレックスと大量消費主義を併せ持っていた。そして、両者が激突することで、虚構が生まれる。シティポップは虚構の都市イメージを生み出し、東京ディズニーランドは存在自体が夢と虚構の国である。
 虚構が誕生するキーワードは、アメリカの模倣・コンプレックスと大量消費主義。そして、そのような虚構は人々を魅了し続ける。東京ディズニーランドが当初と変わらぬ戦略でありながら未だに人気を誇る現象は少し異常だ。シティポップも同様、現代にきて急速なリバイバルブームが起こっている。


第四回:現代によみがえる虚構の虚構 ~FUTURE FUNKブーム~


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