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STUDY:シティポップとは何だったのか?第2回

2虚構のジャケット

 シティポップの定義「歌謡曲とニューミュージックの融合した先にある音楽」は、音楽性の問題であった。少し狭い。一方レコードコレクターズの定義は、「都市との関係性を描く曲」であり、少し広い。ここで登場するのが、「イメージ」の問題だ。冒頭でも述べたが「シティポップ」がどんなメロディをしようと、何を歌おうと、先行してしまうのは「イメージ」なのだ。そしてそのイメージを最も形作るのが、ジャケットだろう。ここでは角松敏生を例に、イメージの変遷を追う。

角松敏生(かどまつとしき)※本名同じ
1960年8月12日 東京都出身
1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。
また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、1983年リリースの杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの中山美穂 「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品として業界チャート誌の1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。公式HPより


 角松敏生は81年にシングル「YOKOHAMA Twilight Time」とアルバム「Sea Breeze」の両方を引き下げデビュー。82年「WEEKEND FLY TO THE SUN」83年「ON THE CITY SHORE」とコンスタンスに発表していた。83年には杏里の「悲しみが止まらない」を手掛け、プロデュース業にも進出していく。

 そんな中で発表された「After 5 Clash」(84)は初期三部作から音楽性、雰囲気ともにガラッと変えた奇跡のような作品である。

 まず音楽性から。初期三部作はタイトルからもわかるように、「夏」「リゾート」がテーマであり、落ち着いたテンポで、エセ山下達郎感があふれるサウンド。大瀧詠一「A Long Vacation」(82)と山下達郎「For You」(82)を意識していると思われる。しかし「After 5 Clash」では、グッとテンポをあげ、ベースラインが強調されたサウンドはダンスミュージックに接近していることがわかる。その証拠に、一曲目の出だしのフレーズは「If you wanna dance tonight…」。今までのリゾート路線から、一気にシティに戻ってきた。翌年の「GOLD DIGGER〜with true love〜」(85)ではますます都会性を高め、一般的ではなかったスクラッチやラップを取り入れている。リゾートからシティへの帰還。そしてダンスミュージックの始まり。84年はアン・ルイスの「六本木心中」のリリース、そして麻布十番にマハラジャがオープンした年だ。

さて、肝心なジャケットの問題に入ろう。まずは下のジャケット写真を見てほしい。

初期三部作↓

After 5 clash(84)以降↓


 どうだろうか。初期三部作は、海!青!なビジュアルにかかわらず、「After5Clash」以降、黒を基調としたイメージで、摩天楼・ハイヒール・白いスーツ・ドレスの女性・ワイングラスなどが見受けられる。音楽性も大きく変化したが、それを超えるのがジャケットの変化ではないだろうか。

 「After 5 Clash」を見ていこう。摩天楼に赤いハイヒール、そして隅に追いやられた角松の写真。少し光がなびいているように描かれているのは、ドライブを意識してか。しかし、一つ気になることがある。この都市はどこだろう。東京?ニューヨーク?はたまた香港?どことも言えない、いや、どこでもないのだ。このビジュアルは、どこでもない「虚構の都市」を描いている。都会性を帯びた「After 5 Clash」に、具体的なイメージはいらなかった。(「GOLD DIGGER〜with true love〜」では「TOKYO TOWER」という曲があるのに、だ)どこだか分からない無国籍で虚構な都会性。この虚構の都市イメージは角松以前に使われたことのあるイメージだ。大橋純子&美乃家セントラル・ステイション「クリスタルシティ」(77)ソーナイス「Love」(79)など。しかし、角松が84年に路線変更したという事実は、84年という時期にシティポップが生まれたこと(スージー鈴木の指摘)と関係性を持っていると考えられるだろう。その意味で角松は大きな存在なのだ。角松がリゾートサウンドからダンスミュージックに振り切ったことに関しては次の章でまた言及する。


 レコードコレクターズ「シティ・ポップ 1980-1989」では松永良平と藤井陽一の対談が掲載されているが、興味深い一節を引用したい。「(A Long Vacationなどを手掛けた)永井博さんのイラストは、当時も今も、よい意味で架空のままなんですよ。描かれていた景色を見てみたい、というより、脳内のリゾート感が掻き立てられるんです。」永井博をはじめとする景色を描いたジャケットの数々はリアリティにかけていた。しかし、それが最も大事なことである。音楽という形の見えないものに、現実の形を与えてはいけない。架空の都市、無国籍な摩天楼、はたまた、静かで美しい夏の海…。


 この虚構という言葉についてもう少し考えてみたい。虚構の都市というのは一見矛盾するように聞こえる。このような都市・摩天楼のイメージは実際に目で見えているものを集合させて構築するのだから、実態が全くないわけではない。しかし、ここでいう虚構というのは、主観的と同意義だとしたい。

 ハナムラチカヒロの「まなざしのデザイン」では「風景=場所(客体)+眺め(主体)」という方程式が登場する。私はこの式がジャケットのイメージにも共通すると考えた。すなわち、書き換えると、「ジャケット(虚構の都市)=摩天楼(描かれている場所)+個人的主観(眺め)」だ。この本では、「眺め」というのは主に四つ(物理的・客体・主体・心理的)に分けられると定義している。虚構の都市を描くジャケットは、描かれている場所に加えて、心理的なイメージ(都会・夜・ダンディなど)が足し算されて生み出されている。レコードコレクターズの対談に戻るが、松永はこのような指摘もしている。「70年代も80年代もその時代のアーバンなナイトライフのことを歌っていたりする作品は多いですよね。でも、どこかやっぱり架空的というか、内省的というか。もうちょっとインナーな視点を持っているもの、現実の街とのリンクの間に自分というフィルターがちゃんと入っている作品が、結果的に時代を超えて残っている感じはします」。『自分というフィルター』こそが、心理的なイメージに筆頭する部分ではないだろうか。そして、自分という個人的主観に通した無国籍摩天楼こそ、ジャケットに描かれる虚構の都市なのだ。


第三回予告:シティポップ=東京ディズニーランド?

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