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A White Oleander

小さい頃のある夏の日、大津の長節湖にプカプカ浮かびながら、自分は空を眺めてボーッとしていた。海水浴場の監視塔のてっぺんのスピーカーからは、同じ曲が何度も繰り返し流れていた。それはきっとカセットテープに収まっていたはずで、監視塔の人は、A面の再生が終わったらB面と、自動か手動か、繰り返し同じテープをかけていたのだろう。その曲ばかり何度も聴いたので、帰る頃には後半のピアノのアドリブ部分なんか完璧に覚えてしまって、すっかりお気に入りの曲になっていた。

その後しばらくして、小学校高学年になって、夜、部屋でAMラジオなんかを聴くようになった頃、お目当ての番組のひとつかふたつ前にやっていて、もののついでで聴いていた「どんまいフレンド」という、男性アイドル2人がゆるいトークをするような短い番組のエンディングテーマ曲として、あの時大津の海水浴場の監視塔の上からかかっていた曲のサビが使われていることに気がついた。それが嬉しくて、そうか、どんまいフレンドの終わりを聴いていれば、名前もわからないあの曲にいつでも出会えるんだな、と思っていた。

さらにしばらくして、中学生になって、NHK-FMの「サウンドクルーザー」や「クロスオーバーイレブン」なんかを聴きながら、気に入った曲だけをラジカセでテープに録音したりするようになった。その頃の自分はもう、イントロの2〜3音を聴いた瞬間に〝あの曲だ〟とわかるほどまでになっていたので、ラジオからそのイントロが流れた瞬間に、反射的にラジカセの●RECを押すことができたのだった。

かくして、マクセルのテープにみごと捕まえた、あの日大津の海水浴場の監視塔の上からかかっていた、名も知らぬ曲は、ウォークマンでいつでも、好きな時に聴くことができるようになった。十勝川の河川敷を自転車で走る時も、家族で遠くに出掛ける時も聴いた。高校の修学旅行用に張り切って編集した個人用BGMテープにももちろんダブルデッキでダビングして連れていった。

さらにそれから月日が流れ、東京に出て、専門学校に通うようになった。沢山のフュージョンナンバーやミュージシャンの名前を知って、そういうジャンルが好きな珍しい友達なんかもできた。ある時、思いたってあの日大津の海水浴場の監視塔の上からかかっていた曲を、その友達に聴いてもらった。
「もしかしたらこれ、松岡直也じゃないかな」と言われた。

松岡直也の曲かもしれないという有力な情報を得て、でも曲名はわからないまま、さらに長い月日が流れた。世界にはインターネットが現れて、インターネットには検索エンジンというものが現れた。当然松岡直也のディスコグラフィーを調べたりしたが、わかるのは曲のタイトルばかりでメロディではなかった。

そこからもっと月日が流れて、Youtubeというものが現れた。自分はすでに三十代もなかばをすぎていた。2010年のある日、とうとうYoutubeにアップされた〝あの曲〟の正体がわかった。それはやはり松岡直也の『A WHITE OLEANDER』という曲だった。

それから4年の時間が流れ、2014年の4月29日が来た。子どもふたりが実家で面倒をみてもらっている間、ぽっかり時間ができたので、暖かくなってきたし、ひさしぶりに大津の海にでも行ってみようかと車を走らせた。

冷たい海風の吹く、晴天の大津の青い海を眺めながら、妻と砂浜を少し歩いた。

「この監視塔、ここのてっぺんに昔、ラッパ型のグレーのスピーカーがついててね。子どもの頃の夏のある日に、ずーっとおんなじ曲がかかってたんだよ。プカプカ浮かびながら、飽きもせずずっと聴いてた。今日みたいな天気の日だった」

ひさしぶりにあの監視塔を見て、あの曲をまた思い出した、その日のその時間、松岡直也は76歳で世を去った。

R.I.P. Naoya Matsuoka 1937-2014