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3.無限の光が照らす先

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古代インドの言葉

サンスクリット語(梵語)という言語がある。
古代北インドの言葉のひとつで、当地の神話伝承や仏教文献にも使われた。
現代インドで話されるヒンディー語などはその末裔に当たる。

初めて聞いた人も多いかもしれない。
しかし日本語にはサンスクリット語(またはその民衆方言パーリ語)由来の古い外来語がいろいろと残っている。
その多くは中国語を経由して入ってきた仏教用語や輸入品名である。

(サンスクリット語やパーリ語は普通北インドのデーヴァナーガリー文字で書かれるが、ここではローマ字で示す。形は語幹、例が1つのものは共通形)。

日本語 ←サンスクリット語, パーリ語
阿弥陀 Amitābha-(アミターバ)「無限の光明を持つ者」
仏陀  buddha-(ブッダ)「目覚めた者」
旦那  dāna-(ダーナ)「贈与,布施」
達磨  dharma-(ダルマ)「法」
茉莉  mallikā(マッリカー)「ジャスミン(の一種)」
刹那  kṣaṇa-(クシャナ), khaṇa-(カナ)「瞬間」
涅槃  nirvāṇa-(ニルヴァーナ), nibbāna-(ニッバーナ)「吹き消し」
般若  prajñā(プラジュニャー), paññā(パンニャー)「智慧」
瑠璃  vaiḍūrya-(ヴァイドゥーリヤ), vēḷuriya-(ヴェールリヤ)「宝石,瑠璃」

意外な例も多いかもしれない。
サンスクリット語(パーリ語)→中国語→日本語というルートをたどったことで表記・発音・意味が変わったりもしているが、日本語の古層には古代インドの言葉の影響が確かに息づいているのである。

ちなみに漢字表記の大半は発音を中国語として写したときの当て字で深い意味はない(「茉莉」や「瑠璃」の草冠や玉偏などは植物や宝玉を表すために付け加えられたので例外)。

サンスクリット語とパーリ語はまったくの別物ではなく、発音や文法に違いはあるが同じ言語の古い文語(前者)と民衆の口語の一種(後者)の関係に近い。
しかしまとめて扱ったほうが便利なことも多いので、この記事では「サンスクリット語」と総称する(あるいは古代インド・アーリア語)。

ではこのサンスクリット語とはどのような言語なのだろうか。
実は英語の遠い遠い親戚というべき存在なのである。

(上述のサンスクリット語例はMonier-Williams(1899)、パーリ語例はPED、日本語例は前田(2005)及び『コトバンク』内の各辞書を主に参照した)。


測り知れない光

たとえばサンスクリット語のprajñā「智慧」の前半は英語のfor「~のために」やforward「前方に」と、後半はknow「知っている」と語源関係がある(IEW, EtymOnline)。

阿弥陀仏を表すAmitābha-(アミターバ)は「無限の光明(を持つ者)」の意で(『大辞林』)、明らかにamita-「測れない,無限の」とābhāḥ「光」に由来し(Monier-Williams, 1899)、漢語では「無量光仏」とも訳される。
「測り知れない光(を持つ者)」といってもいいだろう。
amita-はさらに否定のa-とmita-「測れる」、ābhāḥは強意のā-とbhās「光」に分解できる(Monier-Williams, 1899)。
そしてこのa-(否定辞)、mita-「測れる」、bhāḥ「光」は英語のun-(否定辞)、measure「計測」、photo-「写真」と同源関係にある(IEW, EtymOnline)。

measureやphoto-自体はラテン語のmensūra(メンスーラ)「測定」や古代ギリシャ語のφῶς(ポース)「光」から来た外来語だが、英語の本来語に限ってもmonth「(暦の)月」やbeacon「かがり火,信号灯」と語源関係がある。
(つまりmensūraとmonth、φῶςとbeaconも同根、以上IEW, EtymOnline)。

古代ギリシャ語は東欧のバルカン半島を中心に分布していた古代ギリシャ文明圏の言語として知られる。ローマ帝国の勢力拡大後も東地中海地域の公用語として使われ続け、後に姿を変えつつも現代ギリシャ語として存続している(高津2005, pp.33-36)。

ラテン語は古代イタリア半島を中心に広大なローマ帝国を築いたローマ人の言語である。イタリア語などはその後裔に当たる(高津2005, pp.36-43)。

ギリシャ語やラテン語がどのような言語かは別の記事で詳しく語るが、ここでは簡単に、日本語が中古中国語(漢語)から多大な影響を受けてきたように、英語は古代ギリシャ語やラテン語から(間接的なものも含め)大きな影響を受けている、とだけ言っておこう(この点は小林2006などを参照)。

上の例は(mensūra→measureとφῶς→photo-を除き)相互の外来語ではない。
古代インドとヨーロッパではイメージがまったく重ならないかもしれないが、サンスクリット語もラテン語もギリシャ語も英語も、遠い過去には同じ言語だった時代があり、これらの形態素はその頃から受け継がれたものに他ならない。

その知識はまさに時の彼方からもたらされた"測り知れない光"だった。


印欧祖語

想像も容易には及ばない話だが、サンスクリット語ギリシャ語ラテン語英語もすべて、今から数千年以上前に使われていた謎の超古代言語――印欧祖語(Proto-Indo-European, PIE)という共通祖語から分化・派生した子孫言語に当たると考えられている(風間1993, pp.2-23; 高津1999, pp.40-55; マルティネ2003, p.1, pp,58-112; 松本2006, pp.19-60; 神山2011, pp.36-74; アンソニー2018, p.28など)。

ジュラ紀に生きた小型恐竜の一部から多数の鳥類が生まれたように、太古の印欧祖語から数多くの子孫言語が誕生したと思えばわかりやすい。

このように共通祖先を持つ言語グループを語族、その祖先を祖語という。
印欧祖語に遡る同系グループを印欧語族(Indo-European languages)、属する言語をまとめて印欧諸語と呼ぶ。
(「印欧」は「インド・ヨーロッパ」とも表現される)。

印欧諸語は遥かな古代から現代に至るまで、歴史的には特にインドからヨーロッパを中心としたユーラシアの広大な地域で使われてきた。
(アメリカ大陸への伝播は比較的後のことになる。またかつてはインド以東にも印欧語があったことがわかっている)。
属する言語の顔触れは後述する。

この印欧語族という概念の提唱こそ、現代的な意味での言語学の始まりを告げる大きな一歩だった。


遥かな時の彼方から

印欧祖語には直接に文献があるわけではないので、子孫言語の情報を総合して遡る形で想定することしかできない。いつどこでどのような人々が話していたかも明確ではない。
しかし音韻・語根・文法の研究は少しずつ進展し、検証は難しいが話者の原住地や文化についてもわずかながら光が当てられつつある。

詳しくはいずれ述べるが、一説には紀元前4000-3500年以降にユーラシア大陸中央部のポントス・カスピ海草原あたりに住んでいた人々が使っていた言語が起源なのではないかともいう(アンソニー2018, p.92)。

ただし言語と血縁と民族は必ずしも一致しない点には注意してほしい。
使用言語は切り替えられることもあるし、どの地域の人間も歴史の中で混血している。
印欧祖語やそれを話していた人々が存在したといっても、現代印欧語話者同士の間に特別近い血縁関係や文化的近親性があるとは限らない。
(この点は長田(2001)にアーリア人インド侵入説に対する検証の点から少し言及がある)。

ともあれ驚くべきことに、人類は記録さえ残っていない数千年以上前の言語の体系やその背景さえ、部分的にではあるが把握し始めているのである。


古代印欧語の基数詞

詳しくは知らない読者も多いと思うので、古代印欧語の近縁性を直感的に把握してもらうために基数詞をピックアップしておきたい(1, 2, 3…といった数のカウントに使われる語彙)。
語族の認定においてはこの基数詞が重要な役割を担うことが多い(風間1990, p.237)。

英語、サンスクリット語、古代ギリシャ語、ラテン語の順に語例を示す。
印欧祖語の形は子孫言語から遡って推定された再建形で、*付きで表す。
といっても祖語の音の解釈には注意が必要だし、すぐに扱い方を覚えるのも大変なので、ここではあまり深く気にしなくていい。
*h₁, *h₂, *h₃はhに似た3種類の音を含む何らかの要素である(総称表記H)。

PIE. 印欧祖語(初期>後期)
Skt. サンスクリット語
Gk. 古代ギリシャ語
Lat. ラテン語
Eng. 英語

PIE. *(H)oynos「1」
Skt. ēkaḥ (エーカハ)
Gk. οἶνος (オイノス)「サイコロの1」
Lat. ūnus (ウーヌス)
Eng. one

PIE. *sem-「一緒の」
Skt. sam- (サム)「共に」
Gk. εἷς (ヘイス)「1」
Lat. semel (セメル)「一回」
Eng. same「同一の」

PIE. *dwoh₁>*dwō「2」
Skt. dvau (ドヴァウ)
Gk. δύο (デュオ)
Lat. duo (ドゥオ)
Eng. two

PIE. *treyes「3」
Skt. trayaḥ (トラヤハ)
Gk. τρεῖς (トレイス)
Lat. trēs (トレース)
Eng. three

PIE. *kʷetwores「4」
Skt. catvāraḥ (チャトヴァーラハ)
Gk. τέτταρες (テッタレス)
Lat. quattuor (クァットゥオル)
Eng. four

PIE. *penkʷe「5」
Skt. pañca (パンチャ)
Gk. πέντε (ペンテ)
Lat. quīnque (クィーンクェ)
Eng. five

PIE. *(s)weḱs「6」
Skt. ṣaṭ (シャト)
Gk. ἕξ (ヘクス)
Lat. sex (セクス)
Eng. six

PIE. *septm̥「7」
Skt. sapta (サプタ)
Gk. ἑπτά (ヘプタ)
Lat. septem (セプテム)
Eng. seven

PIE. *h₃eḱteh₃>*oḱtō「8」
Skt. aṣṭā (アシュター)
Gk. ὀκτώ (オクトー)
Lat. octō (オクトー)
Eng. eight

PIE. *(h₁)newn̥「9」
Skt. nava (ナヴァ)
Gk. ἐννέα (エンネア)
Lat. novem (ノウェム)
Eng. nine

PIE. *deḱm̥(t)「10」
Skt. daśa (ダシャ)
Gk. δέκα (デカ)
Lat. decem (デケム)
Eng. ten

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