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#2 映画『君の名は。』レビュー

新海誠にシンパシーを表明するオタは信用できない。だって新海作品ってモテないキャラがまったく出てこないじゃん。主人公がモテモテなアニメを見せられて、女日照りのオタがどうして共感できるのか、いやできまい(反語表現)。エロゲーでは『臭作』がオールタイムベストなおれには意味が分からないよ!
新海作品の主人公は女に不自由しているわけではないが、好意を寄せてくる相手には決して心を許さず、より困難な恋に挑み続ける。彼らの一途さは「二次元最高!」と強がりつつもサークラ女にコロッとイッてしまうオタと正反対だ。そんな主人公たちを見ていると、新海誠は運命の女から離れれば離れるほど興奮するタイプだと気付かされる。これまで手がけた作品はヒロインの間に存在する距離が重要なテーマになっていたし、公式サイトのタイトルが「Other voices-遠い声-」であることも示唆に富んでいる。しかし最新作『君の名は。』のラストだけはどうも様子が違う。あの結末は新海誠が本来作りたかったクライマックスのようには思えないのだ。疑惑の結末に辿り着く前に、まずは歴代主人公のモテっぷりを振り返って、遠距離恋愛作家たる新海誠の手腕を確認してみよう。

2000年制作の『彼女と彼女の猫』は猫のチョビが飼い主である彼女への想いを綴ったショートアニメ。チョビのモノローグは新海誠自身が演じており、猫でありながら人間の女性に抱いた感情を早口で語っていく様はどこか微笑ましい。だが穏やかな状況は一変。「夏が来て、僕にもガールフレンドができた」と近所のメス猫と仲良くなったことを告白するのだ。
こちらの戸惑いをよそに「ミミは小さくて可愛くて甘えるのがとても上手で」と一方的なノロケ話が続く。どうしたんだチョビ。彼女への純愛はどうなったんだと心配していると、チョビは「でも僕はやっぱり、僕の彼女みたいな大人っぽい女性の方が好きだ」と本音を漏らし、ミミとは体だけの関係であることを暴露する。ミミの「ケッコンして」という要求に対しては「こういう話はもっと君が大人になってから」と断固拒否の構え。カキタレとしての身をわきまえろと言わんばかりの対応だ。こんな猫、おれだったら去勢する! つまり『彼女と彼女の猫』では猫と人間という生物上の距離が主人公を惹きつけるものとして描かれていた。

2002年公開の『ほしのこえ』は国連軍の選抜メンバーとして宇宙に旅立った中学三年生のミカコと、地球で暮らすノボルのSFラブストーリー。ノボルはミカコの帰還を待ち続ける好男子のように思えるが、高校生のときに女子と相合い傘で下校するシーンが存在する。ノボルもチョビと同じように愛人を囲うのかと思いきや、誘惑に負けず相手に傘を手渡して、一人ずぶ濡れで階段を登る。女からの好意を無下にすることで、ミカコへの想いは一層高まっていく。
またノボルが年を重ねていくのに対し、ミカコは一貫して中学三年生のままの姿で描かれている。これが『ほしのこえ』はウラシマ効果を描いた作品だと誤解される原因でもあるのだが、ストーリーが進むにつれて二人の年齢が離れていくように見える演出は切ない世界観を盛り上げていた。距離に対する執着は以降の作品でも続くことになる。

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