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拡散する格差社会。

岡崎体育さんのファンクラブ問題、泰明小学校の制服、いわゆる炎上というのは「格差」への敏感さだと感じる。

ファンクラブの会員への金額による扱いの違いは、より多くのお金を払った人がグリーン車に乗る、ファーストクラスに乗るのと同じではないかと思う。平等、格差の前に「なぜ彼はそれを選ぶか」という個人の選択が、第三者に関係があるのかと不思議に感じる。

泰明小学校は「銀座、アルマーニ、公立、高額」といった誰でも引っかかりやすいワードのストレートフラッシュに反応しているけれど、あそこは住民の子供が少ないから「特認校」という、学区外からも入学できる特殊な小学校に認定されているのだという。ネームバリューのためだろうか、わざわざ越境して来る生徒が多く、ほぼ私立のような様相を呈しているらしい。

だから、銀座に生まれて、どうしても泰明小学校に通わなければいけない子を持つ親が「制服が高いよ」と愚痴をこぼすならわかるが、地方の普通の公立小学校と比較して「そんなの常識としてあり得ない」というのはちょっとズレてる。

そうは言っても公立だから、と税金のことを持ち出すならそこもちゃんと考えて欲しい。戸越銀座の制服屋さんが地元の小学校の制服を扱うのはオッケーだと思うなら、銀座という地域の商店街には、中央区に税金を払っている「アルマーニ商店」もあるのだ。

イタリア、ブランドモノ、贅沢、庶民感情逆なで、という単純さと、イタリア行ったんですか、オシャレですね、羨ましい、が全部ごっちゃになってる。

校長の独断であるとか教育委員会の手順とかそういうのはどうでもよくて、もう「すべてが均質、誰でも平等である」という奇妙な社会主義的幻想を捨てる時期に来ているんじゃないか。

この前も、ある家計簿診断的な記事が炎上していた。その家庭の世帯年収が高すぎるというのだ。「俺たちはそんなにもらってないのに、けしからん」とバッシングするんだけど、その怒りの矛先はどこに向かっているんだろう。

運転手付きのベントレーに乗っている人をいちいち呼び止めて、けしからん、とでも言いたいんだろうか。

テクニカルな方法論の問題は別に語ればいいと思うけど、それ以前の「儲かってるヤツは悪人」みたいに抽象的なことを世論にすり換えてばかりいると、ただただ自分の発言力を失うよ。

「あの人、もし自分に財力があったら正反対なことを言うよね」と思われてしまう。だから、貧乏と金持ちを短期間で入れ替わった成金というアスリートは娯楽として楽しく観戦できるのだ。ヤジを飛ばさずに観ていればいい。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。