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ヘタが巧くなり、ヘタになる。

絵でも写真でも何でも同じだと思うのがこれ。

最初は、箸にも棒にもかからない「ヘタ」から始まる。それが慣れてきて技術を憶えてくると「上手」になり、達人になると「ヘタ」に見えるところへ戻っていく。

これが意外と知られていない。というか素人は途中の「巧い」を目指しているから、それらしく描けたり撮れたりするところにゴールを設定している。

何もできない人が技術を憶えてくると、上達が楽しくなってくる。これはまあよろしい。でも、巧さには上限があるのだ。

多くの人はそこに近づくほど安住してしまう。クリスチャン・ラッセンは素晴らしいとか、写真みたいに描けていてスゴいデッサンですね、というのが素人の理解の限界ってことだ。

そしてピカソやコクトーの絵を見ると「あんなの、俺にも描ける」と言う。巧さにたどり着いたことがないから、ただの巧さに退屈する心の動きをわかっていないのだ。

ヘタな写真は論外、巧い写真はあざとい、その先を見たい。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。