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ジャストミートの凹み。

本文を読みたい人はググればいいから記事のリンクはしないけど、藤原ヒロシさんのホテルについての対談がスゴかった。

まず、パブリシティとしての役割なんだけど、この記事を読んだ人が「そこへ行きたい」とはまったく思えない仕上がりになっているのに劇的に驚く。自由だ。日本にはまだフリーダムじみた自由が残っていた。

藤原ヒロシさんは、相手が説明するコンセプトに大人っぽく「そうですね、いいですね」と受け流しながら答えることもできたはずだし、ほとんどの人が対談に呼ばれたらそう振る舞っていると思う。これぞ忖度なんだけど。

でもそこで、いいね、と軽く自分のお墨付きを与えた、もしくは与えたように他人から思われたら、藤原ヒロシさん本人の商品価値が下がってしまう。「あんなものをいいと言ったのか」と言われてしまう。だからあの態度は正しいし、むしろとても真剣な人だなあという印象を持った。

このコミュニケーションは、日本でお目に掛かることがほとんどない。「ここはとても優れているが、この部分はクソみたいにダメだ」という指摘は日本ではしてはいけないことになっている。貶されることに免疫がなく、それと同じことを言うとしたら「全体にとてもよいと思います。二、三、改善の余地があるという意見も各方面の調整の中では出てくるかと思いますが、それは大きな問題ではないでしょう」と表現しないと傷つくんである。

外国の人にジャストミートのダメ出しをされると本当に凹むんだけど、それは後で必ず役に立つ。

世界中で様々なモノを見て体験して、ホンモノがわかる名の通った人に「これはいい」と、なめらかに褒めてもらおうとしたことが裏目に出た。トレンドだのインバウンドだの「あえて逆を行った」みたいな浅はかなワードに丁寧にNOを言い続けた。これはとても健康的な出来事であると同時に、言われたのが自分じゃなくてよかったという胸のなで下ろし感がハンパない。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。