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お前のリアルしかいらない。

SNSでは、リアリティのある話しか残っていかないのだと思う。

マスコミはある種の幻想を商品価値として扱う商売だと思うんだけど「マスと個人」をまあまあ並列に眺められる場所にいると、どうしてもSNSの方が「少し能なしで素敵」の略だと感じる。

「タレントが線路に立ち入った、けしからん」などの正論を言いたがる人も、現在「あの線路で記念写真撮ってま〜す!」とSNSに載せて喜んでいる人(実際多いらしい)も同様にバカっぽく、優劣などつける意味がない。

マスは決して平均値や総意ではなく、突拍子もない多様性が混在して箱の中に入っているということ。その箱に手を突っ込めば肌が綺麗になったり、蛇に噛まれたりする。そこから噛む蛇だけを取り出してパッケージするとコンテンツになる。

世の中にはこんなに変わった蛇がいるんだという情報は、マスが扱った途端に陳腐になりがちだから、それはSNSの方が向いている。俺が興味があるのはその部分だけ。だからテレビ番組の感想や、コンビニで新発売のお菓子が美味しかったという「消費情報」については完全に読まない。

自分にしかないリアリティには価値がある。珍しい体験は珍しくて楽しい。でも「ハリーポッターは面白いよ」というのは全員が言うから無価値なんだよね。情報は誰が誰に与えて受け取られているのかという流通の道筋が大事で、それをチョイスする集合が人格を作っている。

俺の知人に面倒なコメントをつけている人がいたので見てみると、典型的な情報流通経路、言い換えると興味のありどころがわかった。

警察にスピード違反で捕まった話、テレビタレントへの悪口、近所のトラブル、仕事への不満など。自分にしか意味のない個人的な感情を垂れ流すのもいい。それは個人の自由で、俺はそれを見ない自由がある。ここにふたつの言葉を残しておこう。

オチのない子供の話を書くのが「親バカ」。

「そう感じるのは私だけかな」と書いてる人が50万人。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。