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「写真ってこうだと思うんですよ」

写真を撮るときは、他人の声に耳を塞がないといけないと思っている。

俺は射撃場で使うヘッドフォンをつけているような気分で写真を撮っている。集中力が大事なのはどちらのShootも同じだ。

誰かが集中して創作しているときに横から何か言う人はそもそも無神経な人だから、助言自体に内容がないように感じる。合議制で動いているように錯覚しがちな広告撮影現場などに慣れて神経が麻痺すると、それを何とも思わなくなってくるようだけどね。

テザーのモニタ前に数人が集まって「今のがよかった」「もっとこちら側からのカットも」なんて言うなら、カメラマンはいらない。UFOキャッチャーみたいな遠隔ロボットアームを全員で操作すればいい。

撮影するときだけじゃない。「写真ってこうだと思うんですよ」という定義づけが好きな人はだいたいにおいて暴力的だ。俺はこう思う。だからそうしていないお前は間違っているという論法。

あるパーティで同年代風の酔っ払いのおっさんに「あんたの写真、ネットで見てるよ」と声をかけられたことがある。「女を撮っているけど、オンナが写ってないんだよな」と言われた。まず女性をオンナと言いたがる70年代新宿っぽいマチズモが好きじゃないから軽快に無視したけど、こういう人はたくさんいる。

「オンナが写ってない」という安っぽい言葉のどこに「写真の正解」があるんだろう。もしも相手が鉄道写真家なら「お前の写真には鉄道が写っていない」とでも言われるんだろうか。

鉄道写真家がそう言わないのは、自分が好きで撮りたいモノが世界のほんの一部分だと知っているからだ。それなのにエロティック、暴力的なモノを撮っている人は、それを人間の普遍であり写真の唯一のテーマだと押しつけがちだ。

ヘッドフォンをしたままなのでもし声が大きかったら失礼しますけど、まずお前が頑張れよ、とお答えしておきます。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。