「不可逆なデザイン」


前回のLA LA LANDの話は、単なる映画のポスターデザインなのに「民度」というイヤな言葉を使ってしまったことによって反応が多かったんですけど、逆に民度という「デザインの受け皿」について、あからさまに書いてみますね。

この写真を見てください。日本人の民度の変化です。原始時代から江戸時代くらいまで日本は割とストレートな進化を辿ってきました。その時に生きてないから想像ですけど。

それが外国、特にそれまで入って来ていた親和性の高い韓国中国文化とは違う欧州文化が押し寄せてきた時、日本人は岐路に立たされます。英国の建築や社交界を真似てみたりし始めることを文明開化と呼んだ。つまり「我々はそれまで文明人ではなかった」と自己申告しちゃったんですね。

利休茶碗などはシンプルの極み、今でも世界中から高い精神性を評価されていますが、そこまで積み上げてきたモノを欧州文化に屈して捨てちゃった。畳はダサい、フローリングがオシャレだとか、そういう貧乏臭い出自への自己嫌悪に陥ってしまったわけです。

で、戦争でまたすべてをリセットされてからの高度経済成長期ですよ。あらゆる質の悪いモノが量産されていきます。経済は成長するかもしれないけど、それは戦後復興という戦争でできた大きな穴を埋める作業だったのです。そこは日本人が得意な「考えなくていい作業」の領域ですよ。

しかし、そこで豊かになるなり方を間違えてしまった。冷蔵庫やテレビが買えるようになったから買う。そこには一切の「選択」がなかったのです。必要な機能を選ぶ、好きなデザインを買う、そうした順を追った成長ができなかったから、利休の時代にはぐくんだ精神性は消え去り、まさに茶室のように狭い部屋が花柄の家電で溢れかえったのです。ここはその花柄時代に生きてるから知ってます。

でな。心が貧乏なまま、今度はバブルを迎えるんですよ。机ドン!お金だけが有り余った教養のない人が何をしたかというと、世界中の美術品を買ったり不動産を買った。たいして儲かってない庶民もブランドモノを買い漁る。

しかし、デザインに関するまともな教育が一般庶民にされていないから、それがいいものかどうかはお互いにわからない。そしてデカいブランドロゴを書いた服だけが売れることになります。

地面にできた穴、つまりマイナスを復興するのは頭を使わなくても誰だってできる。でも平坦な土地に何を盛り上げていくかには民度や社会の指針が問われるんですよ。

そこで「シンプル」を売りにした家電や家具が出てきます。取りあえずこういうのを買ってれば間違いねえ、という田舎根性に訴えた商品です。シンプルが好きなのはデコラティブの教養がないからです。

何もしていなければ「誰からも突っ込まれない」という安心をくれるからです。利休の頃のシンプルには戦いがあって、ただ何もしていないこととは違います。シンプルとシンプルが競い、精神がカタチを削ぎ落としていた。しかし現在のシンプルは、日本人がアジア独特の毒々しい感性に住んでいることを恥じて、花柄の家電に囲まれて育ったコンプレックスを隠し味に、もう一度欧米のシンプリシティに憧れているわけです。

それを「民度の低さ」と言ってしまうと言葉が悪いので言い換えますけど、手応えのあるうすらバカだと思います。

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ヒマだな!
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ワタナベアニ

写真家・アートディレクター。着ぐるみの中は繊細です。1964年生まれ。現在「ロバート・ツルッパゲとの対話」出版準備中。
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