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F: 説明できるモノは終わっている。

「なぜそうなのか」が説明されてわかるモノには、それ以上の興味を持てない。

スイッチを入れると電灯がつく、のは当然だけど「時々つく」だと話は変わってきます。どうしてつくときとつかないときがあるのか、イライラするな、修理しなくちゃな、と考える必要が出てくるからです。

これが、理系と文系を隔てる「深くて暗い川」です。

世界は機械ではないから理論通りに動きません。それを純粋な概念として統計や確率で美しく理解・処理しようとするのが理系の態度なので「ときどき点灯しないスイッチを作りました」とは言わないのです。

どちらが上位概念だとは思いませんから、そのカウンターとしてとは言いませんが、文系の考え方は統計から抜け落ちた部分だけを扱うと言ってもいいくらい矛盾の塊です。

結婚したら添い遂げるのが婚姻制度の論理的整合性である、人は罪を犯さない、などとは考えません。悲恋や不倫や犯罪や裏切りなどを描きます。システムは平穏に動くことはわかっていて、あえてそこを外れたときに感じる娯楽をフィクションとして提供する役割があるのです。

と、乳児でもわかる説明をしたんですけど、最近気になるのは

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。