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デザイン、CM、デザイン、写真。

広告プロダクションに入ったのは24歳の時。数年間、青山の個人デザイン事務所にお世話になってからの中途採用です。

そこでデザイナーとして働くうち、外注していたCMを制作する部署が社内にできました。それまでCMには興味がなかったのですが、自分が考えたグラフィック広告と連動したプランニングなどをしているうちに、CM部にいる時間が長くなっていきました。

デザインはチマチマした孤独な作業が多いですが、CMはザックリしているというか、ダイナミックな動きをしているように見えました。当時、企業へのプレゼンテーションはポスター、新聞広告などのグラフィックとコンセプトから提案されていましたが、だんだんテレビCMが最重要で、その内容をポスターにしたもの、という逆転現象が起き始めていました。

だから、最初にCMが決まっていてそれをただポスターにするといった事案が増えました。そうするとグラフィックでやりたいことをするにはCMの企画段階から関わらなくてはいけないとわかり、勝手にCMの企画を出すようになりました。

いくつかのCMをプランニングしていると、外部のCMプロダクションから企画を頼まれるようになり、朝から晩まで百科事典のような厚さのコンテを書き殴っていました。今思い出すと、内容は何も面白くなかったですけどね。

数をこなす、と、場の流れを知る、のふたつはとても大事です。傑作や完全なモノはそのあとから生まれますが、訓練せず、現場も知らないと、何も先に進みません。

ある時、会社の仕事で広告代理店に行ってプレゼンテーションをしていました。すると担当者が「あれ、このコンテの絵に見覚えが。この前、見ました」と言うのです。会社のプロデューサーの前で言うんじゃねえと思いました。それは外部のプロダクションから頼まれた、会社には内緒の仕事だったのです。

「今となっては時効ですが」という便利な言葉とともに話を続けますが、そんなカンジでなんとなくCMの演出もやるようになり、33歳で会社を辞めてフリーランスになったときの肩書きは「CMを作る人」でした。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。