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今回は無料公開。「写真の部屋」

写真を仕事にしたいと名乗りを上げた14人のメンバー。
クローズドなグループページでオンライン勉強会をしているんですけど、そこで気づいたことを「写真の部屋」購読メンバーの皆さんにも共有したいと思います。

クアラルンプールのコンテスト

メンバーに課題として参加してもらったポートレートコンテストですが、誰もファイナリストには残らなかったようです。

https://www.klphotoawards.com/?fbclid=IwAR1RZa5a7TyBK4pLEEuidMF5YeRIbqi2XkW5Z-DWqHyBw1R7AnKQX17dVN0

結論としてはまだ早かったのでしょうが、ファイナリストに残った他の人たちとメンバーとは何が違っていたのでしょう。このレベルのコンテストであればまったく歯が立たないとは思えず、今まで見ていたメンバーの写真の中にも戦えそうな写真はあったような気もします。誰かと競う、というのは自分の現時点での能力を再確認することでもあるのでとても大事です。

仕事にすること

もし仕事のコンペだとしたら、今回メンバーは全員仕事が取れなかったことになります。収入ゼロ。何を言おうが、これが仕事の厳しさです。

コンテストに限らず、こういう訓練を20代の始めから毎日繰り返して、落選しては反省し、その積み重ねで実際の仕事に選ばれてきた人が、第一線で活躍しています。そうしてこなかった人がある程度の年齢から巻き返すのだとしたら、数十倍の努力が必要で、のんびりしているヒマはありません。

二位じゃダメなんです

ついでに言っておくと、コンテストはグランプリ以外は価値がないと憶えておきましょう。オリンピックでもそうですけど、金メダルをもらった人のことしか記憶に残らないのです。これは若い頃に体験しておいてよかったと思うことの一つです。

俺はあるコンペでグランプリをもらいました。授賞式に参加すると、審査員たちに名刺を配り回っている若者がいました。俺が審査員のひとりと話していると、彼が近づいてきて会話に割り込んできました。「僕は入選した◎◎と言います。よろしくお願いいたします」と名刺を出して挨拶をしますが、審査員はそこに誰もいないかのように俺と話を続けていました。

この時に「コンテストは一位でないなら落選と同じ」と知りました。

挫折という基礎

同じコンディションでたくさんの人が応募するコンテストより、仕事の方が簡単だと、やや暴論を言っておきましょう。仕事を頼まれたとき、俺はその編集者やアートディレクターが、普段どれくらいのレベルの写真家と仕事をしているかに注目します。

七五三の写真を撮って欲しい。「私の知り合いにヤマダさんという写真を撮っている人がいるよ」「じゃあ、その人に頼むわ」これは仕事を発注されたことにはなりません。頼む側がカメラマンを他にひとりも知らない、が頼む理由だからです。

これは極端な例ですけど、企業についても同じことが言えます。だからこそ、昔は資生堂やPARCOのように、そこから仕事が来たら一人前みたいな、わかりやすい目標があったわけです。表現に敏感であり、経験・実績のある企業は、たくさんのアートディレクターや写真家を知っていますが、その中でも「今回の撮影ならこの人」という厳しい根拠で依頼をします。

そこにたどり着くまでには数多くの挫折もあるでしょう。でもパーティで名刺を配っても仕事は来ません。いくら「私には能力があります」と自画自賛のアピールをしても、友だち以外の誰からも期待されていない個展をしても、ムダです。

発注者は、素晴らしいと思った写真のクレジットを読んで憶えていて、何度かその名前を目にすることがあれば、たぶん誰もが認める能力がある人なのだとわかります。クレジットとは英語で信頼・信用ですから。

スパイラルに参加する

今の時代はちょっと違う部分もありますけど、いい仕事をしている有能な発注者は、ベストな環境と予算を持っています。だからいい仕事ができる。いい仕事がいい環境を作り、おのずと次もいい仕事が生まれるというスパイラルです。

仕事に対して文句を言っている人のほとんどが、自分がこのスパイラルに乗っていないことに気づいていません。

メンバーは少なくとも、クアラルンプールのコンテストでグランプリを取って、一つ目のクレジットを手にした可能性がありました。でも獲れていない。スパイラルにはほど遠いですね。

(今回は「写真の部屋」の内容を無料で公開しています)

定期購読マガジン「写真の部屋」
https://note.mu/aniwatanabe/m/mafe39aeac0ea




多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。