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ポスト・ヒューマニズムとでもいうべき立ち位置。free

昔、友人とモノをたくさん作るような単純作業をしていたとき「これひとつできるのに3分ってことは、あと2時間で終わるな」と言った。すると友人から「単純計算で言うなよ」とちょっと怒った感じで言い返された。

案の定、作業と作業の間に手を休めたり、コーヒーを飲んだりしたから実際にはその倍くらいの時間がかかった。時間のロスが多いのだ。これが機械やAIがやるのとは違う「人間の豊かさ」なんだよね。いいように言うけど。

インターネットでブヒブヒ言わせている人には圧倒的に理数系が多いが「破綻なく数字が機能する欲求」ですべてを解決したいと考えている人の特徴は、休憩やコーヒータイムのようなヒューマニズムを除外していることだ。これは理数系に限ったことではなく、それが頭がいいことなのだという「ポスト・ヒューマニズム」とでもいうべき宗教観なのかもしれない。

俺にすると、複雑なヒューマニズムへの決着の付け方という単純計算の方が気になるわけで、じゃあその作業が美しく時間通りに終わって、何がうれしいわけ?と聞きたくなる。でもそこはほら、宗教観の違いだから絶対に相容れない。

福祉を切り捨てろ、弱者にかける金があるなら有効な投資先を探せみたいなことを、さも俺がストラテジックに気づいたみたいな話を聞くととても疲れる。

恵方巻きって馬鹿馬鹿しいよね、という人もいれば、真面目にやってる人もいる。よくわかんねえけどみんなやってるみたいだからやるか、みたいな人もたくさんいる。それを全部まとめて「俺たち全員バカっぽいよね」でいいと思うのだ。

自分だけが頭がいいと思っている人を見ると、冷静に「君の経済分析はまったく正しいんだけど、いつも着ているそのチェックのネルシャツはありえないからな」と言いたい。ファッションという宗教観を持ち出されたらそういう人種は即死するのだ。認めないだろうけど。

他の基準から撃たれる角度には防弾チョッキがカバーしていないことを知るべきで、だからこそ他人の防御が甘い点も、狙って撃つべきではないのだよ。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。