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ロバート・ツルッパゲとの対話。

一通り原稿を書き上げて、編集の吉満さんに渡す。

出版を打診されたのはもう数年前になる。勢いだけはあるのですぐに半分くらい書いたが、本当にできる人はそんなやり方はしない。1日ずつ、少しずつ書いていくのだ。それを持続できる人が成し遂げる人なのだ。

案の定、途中まで書いた達成感と安心感でほったらかしになった。「達成感」というのは完成した時に感じていいものだと知らないからこうなる。何度かの全部書き直しを経て、大きな出来事に遭遇した。田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい。』を読んだことだ。

まるで俺一人に書いてくれたように思えた。『ミザリー』みたいな、気持ちの悪い読者の典型である。最初の本であるということに翻弄され、チカラの入れ方が完全に間違っていたことに気づかされた。書いていたモノをまた全部捨てた。

気持ちが軽くなり、スカスカ書くことができた。自分が書きたいこと、書いたらカッコいいだろうと思っていた部分はすべてカットした。ダサいところを隠さず、白いブリーフ一枚で勝負しなくちゃいけないと思った。田中さんのおかげで、東京仕事から電通関西の仕事ぶりに切り替えられたわけだ。

これは本当に有り難いことで、印税の中から1500万円くらいは渡さないといけないと思う。あの人、諭吉好きだし。

数年越しに送った原稿の感想が吉満さんから戻ってきた。外すべきところ、足すところがまだまだたくさんある。これから一人前の書籍のカタチになるまで、まだ書く。

俺は小学生の頃、毎日学校が終わると近所の商店街にある書店に行った。そこにある本を端から端まで眺めていた。背表紙を見たり、わからない本でもパラパラめくってみたり。最終的には棚の整理を始めた。本は綺麗に並んでいないとかわいそうだと思っていたのだ。

夕方になるといつも母親が書店に迎えに来る。「やっぱりここにいた」とか言って。

そんな俺の書いた本が書店に並ぶ日が来る。50年くらいかかったけどな。



多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。